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信じる事の大切さ

先程から、涙が途切れない啓太に和希は自分のハンカチを差し出した。
少し驚いた顔をした啓太は、ニコッと笑って和希からハンカチを受け取った。
本当は啓太もハンカチを持っていて流れる涙を拭っていたけれども、既に涙で濡れていてあまり役にはたっていない状態だった。
それに気が付いた和希が自分のハンカチを差し出したのだった。
啓太にハンカチを渡しながら和希は囁いた。
「大丈夫か?」
啓太は返事をしようとしたが、声が詰まって上手く話せないらしく、首を縦に振った。
和希は微笑みながら啓太が今まで使っていた濡れたハンカチを啓太の手から取ると自分のポケットに入れた。
啓太は驚いた顔をしていたが、和希は何もなかったように前を向いてしまったので、心の中でありがとうと言って前を向いた。
恋人が卒業する…
今までいつも傍にいてくれた人がいなくなる。
その経験を和希は1年前にしていた。
その時の和希は今の啓太のように泣かなかった。
泣かないと約束したので、必死に涙を堪えていたと言うのが正しいのだが。
和希は1年前の自分を思い出して懐かしそうに微笑えんだ。


1年前の卒業式前日の夜…
和希は中嶋の部屋に1人でいた。
中嶋は明日の卒業式の最終打ち合わせを丹羽とした後、丹羽の部屋でいつものメンバーと最後の夜だからといつもの宴会をしていた。
もちろん、和希も誘われたのだが行かなかった。
卒業はおめでたい事だ。
理事長としてもこれから夢に向かって飛び立つ生徒を応援してあげたかった。
もちろん、正体を隠している和希だから特別な事は言えないけれども。
けれども、今回卒業するのは中嶋だから和希は笑っておめでとうと言える自信がなかった。
卒業の事を考えてしまうと涙が零れてくる。
今からこんな状態では明日の卒業式ではどうなってしまうのか、和希は不安だった。
「自分の部屋に帰ろうかな…」
そう呟いて立ち上がった和希の目に中嶋のベッドが映った。
このベッドで初めて中嶋に抱かれた。
合意の上とはいえ、年下のしかも自校の生徒に抱かれる。
知識として知ってはいるが初めての男性との行為。
緊張しないわけがない。
しかも、この関係が鈴菱に知られれば、おそらく和希だけではなく中嶋にとっても大変な事になる。
けれども、どんなリスクを背負っても和希は中嶋が欲しかった。
そして…
身も心も中嶋に愛された。
幸せな日々。
でも、それが幸せであればあるだけ不安になる。
この幸せはいつまで続くのだろうか?
おそらくこの幸せは中嶋が在校中だけだろう。
閉鎖された世界でのみの幸せ。
いったん、外に出てしまえば今の関係が続くわけがない。
中嶋がいつまでも自分に執着するとは思えなかった。
だから…
数日前から和希はある事を考えていた。

”ガチャ”
ドアが開いて中嶋が部屋に戻って来た。
中嶋は和希の姿を見ると柔らかに微笑む。
「来ていたのか。」
「はい、留守にお邪魔してすみません。」
「誤る必要などない。いつでもこの部屋に来いと合鍵を渡したのは俺だからな。」
中嶋の言葉に和希は嬉しそうに微笑む。
そして手にしていた中嶋の部屋の鍵を中嶋の前に出した。
「英明の部屋の鍵を返しに来ました。」
「そうだな。明日には鍵を寮に戻さなくてはならないからな。」
「そうですね。寮で過ごすのも今夜が最後ですから…」
そう言った後、和希は中嶋の目を見ながら、
「今夜が最後だから…」
「別れの言葉は聞かないぞ。」
「えっ…?」
和希は驚いた顔をした。
自分が言おうとした言葉をなぜ中嶋が分かったのか不思議だったからだ。
「たかが、卒業ごときで俺はお前を手放すつもりはない。」
「…どうして?…」
「俺は和希と付き合う前に言ったはずだ。俺の一生をかけてお前を愛すると。」
「でも…それって俺を抱く為の口説き文句じゃないんですか?」
「お前は…俺をその程度の男だと思っていたのか。」
「そ…それは…」

和希は気まずそうに視線をずらした。
こんな夢みたいな事はあるはずがない。
そう自分に言い聞かせていた。
「だって…俺との関係はこの学園にいる間だけじゃなかったんですか?」
和希の顎に手をかけ顔を上げさせると中嶋は和希と目を合わせた。
「本気でそう思っているのか。」
「えっ?」
「フッ…俺も随分と見縊られたものだな。」
「…」
中嶋の顔を見て和希は言葉を失う。
切なそうに、そして悔しそうに和希を見つめる中嶋。
これでは立場が逆だと和希は思った。
卒業と同時にこの関係は終わると覚悟していたのは和希なのだから。
「卒業しても…俺との関係は変わらないの?」
「お前は…」
中嶋はそう言うと和希はギュッと抱き締めると、耳元でそっと囁いた。
「俺はお前をけして手放さない。そうお前に誓ったはずだ。お前は違うのか?」
和希の目から零れ落ちた涙は中嶋のシャツに吸い取られる。
「どうなんだ、和希?」
答えを求められ和希は更に涙を零す。
「こんなの…知らない…」
「和希?」
「こんな…奇跡が起こるなんて…」
「奇跡なんかじゃない。」
「…本当に…?」
「ああ。俺を信じろ。」
和希は濡れた瞳のまま顔を上げると、そこには優しい瞳をした中嶋の顔があった。
「返事はどうした?」
「えっ…?」
「さっきの返事だ。」
「あっ…」
和希は嬉しそうに笑うと、
「俺を本気にさせたら怖いですよ。それでも俺が欲しいというんですか?」
「ああ。」
和希は中嶋にキスをすると、
「俺も英明を手放したくない。だから、ずっと傍にいさせて下さい。」
「もちろんだ。だからもうそんな不安そうな顔はするな。」
「はい。」
「明日の式では笑って俺を送り出してくれるな。和希の笑顔でBL学園から巣立ちたいんだ。」
「分かりました。」
和希はふわりと笑って答えた。


1年前の約束通り、中嶋は今も和希の傍にいる。
もちろん、それは学園にいた頃のように常に傍にいるというわけにはいかないが、心がいつも通じ合っているから安心できるのであった。
和希は思う。
啓太と七条の仲も自分達と同じなんだと…
だから、早く啓太も気付いて欲しい。
傍にいる事だけが安心じゃないという事に。
たとえ、離れていても大丈夫だと信じられる気持ちに早く気がついて欲しいと思っていた。
今日の別れは新たな関係の始まりなのだから…

卒業話でした。
和希・啓太は2年生で七条さんが3年生、中嶋さんが大学1年生という設定です。
卒業したら今までのようにすぐ傍にいる事はできなくなります。
けれども、今度は今までと違う環境になるだけであって通じ合った気持ちは変わらないのです。
今の状態はそう遠くない未来、一緒に過ごす為の大切な準備期間だと思っています。
                     2011年3月14日

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