Beginnig 8


“コンコン”
理事長室のドアがノックされる。
「どうぞ。」
和希がそう言うとドアが開き、ツカツカと足音を立ててその人物は中に入って来た。
和希はパソコンを打ちながら顔を上げずに、
「石塚?何かあったのか?」
そう言った後、その人物の声を聞いて思わず顔を上げてしまった。
「遠藤。」
「な…中嶋さん…?」
和希がその声を聞き間違えるわけがない。
好きでたまらない愛しい人の声なのだから。


顔を上げた和希は中嶋と目が合うと思わず視線をずらした。
そんな和希の様子を中嶋が見逃すわけはなかった。
「なぜ、視線をずらすんだ?遠藤。」
「別に…」
いつもと違う中嶋の声に和希の心は痛んだ。
気付くといつも側にいてくれた中嶋さん。
優しい声で『遠藤』と呼ばれるのが嬉しかった。
会えない時間が長いとどこかで会えないだろうかと探したりもしていた。
いつの間にか自分の心の中は中嶋さんへの想いでいっぱいだった。
でも…その想いは封じ込めなくてはいけない想いだった。
中嶋さんは俺の事を何とも想ってないのだから…
中嶋さんに今俺ができる事はもう中嶋さんの負担にならない事。
だから…


「どうかしたのかい、中嶋君。ここは一般生徒は立ち入り禁止のはずだが?ああ、それとも学生会の用事かい?」
理事長として中嶋に接した和希に中嶋は冷たく一言言った。
「学生を辞めると伺いましたが。」
「ああ…伊藤君から聞いたのかい?その通りだけれどもそれが何か?」
「余りに突然だったもので、どういった心境なのかお聞かせ願いませんか?」
「そんな事は中嶋君には関係のない事だろう?」
「関係がない事ですか?」
「そうだろう?これは私のプライベートな事なのだから。」
和希がそこまで言った時、中嶋が机を叩いた。
ビクッとする和希。


「プライベートの事ならなおさらしっかりと聞かないとな。遠藤、貴様何を考えている?」
「な…中嶋…さ…ん…?」
「俺に断りもなく学生を辞めるなど、いいご身分だな。それとも何か?一学生には言う必要のないと判断したのか?」
「だ…だって…」
「何だ?所詮俺との事は遊びだったから飽きたらポイか?」
「そんな…そんな事ありません。」
和希はガタッと音を立てて立ち上がる。
その目には涙が浮かんでいた。
「俺は…俺は中嶋さんとの事を遊びだなんて思った事は1度だってありません。」
「ほう…口では何とでも言えるな。だが、現に貴様は黙って俺の前から姿を消そうとしたのだろう?誰が聞いたって遊びだと判断するだろうな?理事長が何もしらない高校生を弄んだとな。」
「そんな…」


和希はどうしていいのかもう解らなくなってしまった。
そんな和希を冷たい目で見詰める中嶋。
こんな中嶋さんは知らない…和希はそう思った。
いや…ベルリバティスクール学生会副会長中嶋英明とはそう言う人物だ。
敵または利益にならない人物に対しては徹底的に冷たい。
けれど…和希が知っている中嶋は違っていた。
気が付くといつも側にいて自分を守ってくれていた。
優しい笑顔で、さり気ない動作で自分を安心させてくれていた。
そんな中嶋の側にいるのが好きだった。
だから…こんな風に言う中嶋を見たくはなかった。
和希はもう耐え切れなかった。
こんなに好きなのに、もう振り向いてはもらえない。
それどころかあんな目でこれからも見られるなんてもう耐えられない。
どうせもう学生なんて辞めるんだ。
今ここで何を言ったって問題にはならないだろう?
そう決心した和希は徐に口を開いた。


「中嶋さんだって…中嶋さんだって俺の気持ちを弄んだんじゃありませんか!」
和希は怒鳴った。
堪え切れなかった涙が頬を伝わって流れる。
「何の話だ?」
「俺が何も知らないとでも思ってるんですか?中嶋さんは俺の事を邪魔に思ってるんでしょう?」
「どうしてそう思う?」
「どうしてって…中嶋さんはあの時言ってたじゃないですか?王様に俺が好きなら告白すればいいだろうって。」
「…」
「ほら、何も言い返せないでしょう?中嶋さんにとって俺なんてどうでもいい存在なんでしょう?だったらもう俺の事はほっといて下さい。」
止まらない涙を隠すように俯く和希。
これ以上惨めな自分を中嶋には晒したくなかった。
「話はこれで終わりです。もう帰って下さい。」
そう言うのが精一杯だった。


これで全て終わったと和希はそう思った。
声を殺して泣いていた和希を中嶋はそっと抱き締めた。
驚く和希の耳元で信じられない言葉が聞こえた。
「俺はお前が好きだ。」
「…」
「まったく、馬鹿だとは思っていたがここまで馬鹿だとは思わなかったな。」
「なっ…」
和希は顔を上げるとそこにはいつもの優しい笑顔の中嶋の顔があった。
「お前は立ち聞きをするのが趣味だったのか?」
「違います。あの時は偶々です。」
「そうか?まあどっちでも構わないがな。」
「どっちでもって…」
「どうせ立ち聞きするんなら最後まで聞いておけ。あの後俺は丹羽に言ったんだぞ。和希は俺のものだから告白しても無駄だとな。」
「な…中嶋…さ…ん…?」


初めて呼ばれた名前に和希の胸の鼓動は激しく動く。
今何て言ったんだ?俺のもの?それって…
唖然とする和希の頬を流れる涙を唇で拭う中嶋。
「俺はお前をけして離さない。お前は俺のものだからな。」
「中嶋さん…」
「俺は和希を愛している。」
真剣な眼差しで言われ耳まで赤くする和希。
「その言葉…信じていいんですか…?」 「ああ。」
「ずっと…ずっと…俺の側に…いてくれるんですか…?」
「ああ。」
「もう…俺を…1人に…しませんか…?」
「ああ。」
「…」
「それだけか?聞きたい事は。」
「だって…」
和希はもう何を言っていいのか幸せすぎて解らなかった。


そんな和希の唇に中嶋はキスを落とす。
最初は触れるだけのキスを…
そして徐々にそれは深いものになっていく。
舌を絡めるキスに和希の身体は熱を帯びていく。
「んっ…」
和希の口から漏れる甘い声。
いつの間にか和希の手は中嶋のシャツをギュッと握っていた。
頬を伝わる涙はいつの間にか乾いていた。


クチュッと音を立てて離された唇。
和希は潤んだ瞳で中嶋を見詰める。
そんな和希の髪を中嶋は優しく撫でる。
「中嶋さん…貴方が好きです…」
「ああ…知っている。」
「俺…中嶋さんの側にいてもいいんですよね?」
「ああ。」
和希は嬉しそうに顔を中嶋の胸に埋めた。
もう悲しまなくていいんだと…
この人の側にいていいんだと…
和希は幸せを抱き締めて中嶋の背中にそっと手をまわした。






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