どんな微笑よりも…26

食堂で食事を取っている和希に石塚は言った。
「和希様、本日の予定ですが今日から主治医が新しい方になります。」
「そう言えば医師からそんな話を聞きました。」
「はい。今までの主治医はかなりのご年齢なので新しい方が見つかり次第交代したいと仰ってました。先日希望にかなう方が見つかったとの報告を受け、その新しい医師が今日からこちらに来るそうです。」
「どんな方なのでしょうね。前の医師からは非常に優秀で将来を約束された医師なのに、どうしてもこちらに来たいからと言って全てを捨てて来たなんて言ってましたけどね。」
「和希様がよくご存じの方ですよ。」
「えっ?」

和希は驚いた顔をした。
そんな和希に石塚は微笑んで答える。
「どなたかは今日の午後いらっしゃいましたら分かりますので、それまでは秘密にしときますね。」
「秘密?石塚さんらしくない言葉ですね。」
「そうですか?でも、私は和希様の喜ばれる顔が見たいんです。」
「いつもつまらなそうな顔をしているの?」
心配そうな顔をする和希に、
「いいえ。いつも笑っておいでです。けれども、その笑顔は心からの笑顔じゃありませんから。私は和希様が心の底から笑った笑顔が見たいんです。」
「心の底からって…」

和希は困った顔をした。
あの事故以来、確かに和希の笑顔は減った。
一時期は人を信じる事ができなくなった程だった。
けれども…
献身的に和希に尽くす石塚や、この村に来て触れ合った人達によって和希の心は少しづつだったが、解されていった。
それと同時にリハビリにも力をいれ始めた。
自分の足を動かすのはおそらくは無理…と言われていたが和希の努力の結果、松葉杖をついてだが足を引きずりながらなら何とか歩けるまでに回復していた。
歩くのはもっぱら家の中だけだが、時間を掛けてゆっくりと和希は歩いていた。

「和希様の困ったお顔は本当に可愛らしいですね。」
デザートを載せたお皿を持ってきた家政婦の向坂が言う。
「おや、向坂さんもそう思いますか?」
「ええ。本当に可愛らしくて。思わずギュッと抱き締めたくなりますわ。」
「その気持ち分かります。私も何度も抱き締めたいのを我慢してますからね。」
「もう…石塚さんも向坂さんも俺をからかわないで下さい。」
「私はからかってなどおりません。」
「ええ、私もです。」
「…」
困って黙り込んでしまった和希を2人は笑いながら見ていた。

午前中はお天気が良ければ和希は農園の視察に出かけていた。
視察と言っても和希にできる事は何もなかった。
石塚が農家の人と話すのを側でジッと聞いているだけだった。
以前の和希なら、農業について色々と勉強したはずだった。
けれども、今の和希はそうする気力がなかった。
それでも、石塚と共に農園に来る事を望んでいた。
そんな和希に対して村の人達はいつも暖かく迎えてくれていた。
車椅子に乗って、石塚が農家の人と話すのをただ聞いているだけだったが、その瞳は真剣そのものだった。
話を一言も漏らさずに聞いているその姿は、最初和希を怪訝な目で見ていた者達を変えていった。

午後になり、和希は居間で医師が来るのを待っていた。
今日から和希の主治医になる医師。
若い医師だと今までの主治医から聞いていた。
この村の隣の大きい街の大学病院に午前中は勤務をし、午後は毎日和希の診察に来ると聞かされた。
今までの主治医は週に3回しか来なかったので、どうして毎日なのか和希が石塚に尋ねると、
『今まで主治医が来られなかった日は和希様は1人でリハビリをしておいででしたが、それが毎日医師の元でリハビリできるようになっただけです』
と言われたが、毎日医師についてもらってリハビリをしなくても大丈夫なのに…と密かに和希は思っていた。
「和希様、新しい医師がお見えです。」
石塚にそう言われ和希は扉から入ってきた人物に笑顔で言った。

「初めまして。鈴菱和希です。今日からお世話になりますが、よろしくお願いします。」




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