どんな微笑よりも…4

「あれ?紘司兄さん?」
柾司の病室を訪れた和希は病室に篠宮がいて驚いていた。
そんな和希を柾司は嬉しそうに笑いながら、
「和希おにいちゃんも驚いた?実は僕も驚いちゃったんだ。紘司おにいちゃんが突然に来たからね。」
「うん。びっくりした。だって紘司兄さんは長期休暇にしか帰って来ないのに、今日はいったいどうしたの?」
和希は不思議そうな顔をして、篠宮に尋ねた。
篠宮は優しく微笑みながら、
「卒論の事で色々と調べたい事があったんだ。家に確か役にたちそうな資料があったと思い出して取りにきたんだ。」
「父さんの書斎にある本の事?連絡してくれたら送ったのに。」
「いや、色々と見たかったから帰ってきたんだ。それよりも和希はもう中学3年生だろう。そろそろ希望高校を決める大切な時期だ。もう第一希望校は決まったのか?」
和希は顔をくもらせながら、
「う…ん…。まだかな?」
はっきりしない和希に柾司は自分の事のように篠宮に和希の事を話す。
「紘司おにいちゃん、和希お兄ちゃんはとっても優秀なんだよ。中学でもずっと生徒会に入っていて生徒会長もしてたんだよ。」
「柾司、褒めすぎだよ。俺はそんなに優秀じゃないからね。」
「和希お兄ちゃんはいつも謙遜ばかりして。成績だってオール5なんでしょ。もっと自慢してもいいのに。」
「偶々だから自慢もできないんだよ。」
そんな2人のやり取りを篠宮は微笑ましく見ていた。


病弱な柾司は殆ど学校へは行けない。
大抵は家で大人しくしている事が多いが、時々はこうして入院をしている。
激しい発作を起こすからだ。
思うように学校に行けない柾司だが、和希が勉強を見ているので学力の方は何の問題もない。
友達にも恵まれており、殆ど学校へは行けないのに、遊びに来てくれる友達も多い。
柾司より3歳年上の和希は今中学3年生だ。
性格は穏やかで何事にも控えめだが、学力優秀で中学に入学して以来ずっと生徒会役員をしている。
篠宮は家からでは通えない神学校に通っている為に大学の寮で暮らしている。
教会で忙しい父。
それを補佐しながら病弱な柾司の面倒を看ている母。
入院生活も多いので、その度に柾司に付き添って病院に寝泊りしている母。
小さい時から家事をしてきた和希は今ではできない事がないくらい家事が得意になっていた。


そんな和希を篠宮は密かに不憫に思っていた。
15年前にあの日…教会の入り口に置き去りにされていた和希。
警察で捜索してもらったが今だに和希の両親が誰だかは解っていない。
篠宮の両親は和希を実の子として慈しんでいる。
もちろん篠宮も本当の弟として柾司と分け隔てなく接しているつもりだった。
可愛い弟として。
だが…篠宮は時々思う事がある。
もしも、あの時和希を養護施設に預けたなら和希は今よりも幸せだったのではないだろうかと…
自分達は柾司の為にいくらでも犠牲になれる。
だが、和希は違う。
あの時、引き取らなければ和希はもっと別な生き方ができたのではないのだろうかと。
和希は小さい時から周りに気を使う子だった。
それは今でも変わりない。
篠宮の両親も、篠宮も和希の我侭を聞いた事がないのだ。
忙しい両親は気にも留めてなかったが、篠宮はずっと気になっていた。


実は今回の急な帰宅は和希の事が原因だった。
先日、篠宮は母から電話をもらった。
「紘司、忙しい時期だと解っているのだけれども、1度帰って来れないかしら?」
「帰るのは構わないけれども、何かあったの?母さん。」
「ええ…」
「柾司の病気の事?」
「いいえ。和希の事なの。」
「和希?珍しいね。母さんが和希の事を気にかけるなんて。」
「和希の事はいつも気にかけてるわよ。そりゃ、柾司の病気の事があるからあまり構ってはあげられてないけれども、それは和希はきっと理解していると思ってるわ。だからってそれに甘えてばかりではないわよ。」
「解ったよ。母さんなりに和希の事を思ってるって言いたいんだろう?それくらい俺にだって和希にだって十分過ぎるくらい伝わってると思うよ。それより和希に何かあったの?」
「それがね…あの子高校へは行かないって言うのよ。」
「えっ?」
「この間、三者面談があったのよ。和希は担任の先生に前もって言っているらしく、『和希君の希望は就職ですが、それに間違いありませんか?』って言われて、もう驚いちゃって。」
「まさかよろしくお願いします…なんて言わなかっただろうな。」
「当たり前でしょう。担任の先生にどういう事なのか聞いたわよ。そうしたら『和希君の強い希望です』と言われてもう開いた口が塞がらなくて、担任の先生に頼んで、後日もう1度三者面談をしてもらうようにしてきたわ。」
「まったく、和希は何を考えているんだ?」
「それがね、いくら聞いても『勉強が好きじゃないから働きたい』の一言なのよ。和希は私達よりも紘司に懐いているから、紘司には本当の事を言うと思って電話をしたの。紘司、和希にどうして高校に行かないか聞いてみてくれない?」
「それは構わないけど。母さんも父さんも和希が高校へ行くのを賛成しているの?」
「当たり前じゃない。和希は優秀なのよ。大学まで行ってもらいたいに決まってるじゃない。」
「解ったよ。近いうちに帰るから。」
「お願いね、紘司。」
そう言って切れた電話。


篠宮には痛い程、和希の気持ちが解っていた。
和希は高校に行きたくないわけじゃない。
柾司の病気の事を気にするあまりに行く事ができないんだ。
義務教育の中学までとは違って高校はお金が掛かる。
きっと、その事を気にして和希は就職を希望したのだろう。
和希の優しい気持ちを大切にしてあげたいとは思うが、今回は無理だ。
何とか説得して高校には行ってもらおう。
そう思い、篠宮は予定外の帰宅をしたのであった。


柾司の病院の帰り道に、篠宮は和希に聞いた。
「和希、母さんが心配してたぞ。」
「お母さんが?俺、何か悪い事でもした?」
驚いた顔で、でももの凄く心配そうな顔をして和希は篠宮を見つめる。
そんな和希を篠宮は昔のように和希の頭を撫でながら、
「ああ。和希が高校へも行かずに就職すると言ったと言って俺に泣きついてきたぞ。」
「えっ…?」
「和希、高校へは行きたくないんだって?」
「はい。俺そんなに勉強が好きじゃないし。何も無理して高校に行かなくてもいいかなって思ってるんです。」
そう答える和希に篠宮は、
「本当は違うだろう?柾司の病気の事が気になっているのだろう?」
「紘司兄さん…」
篠宮は和希を顔を見ながらニコッと笑うと、
「和希は昔から変わらないな。どうしてそう1人で我慢しようとするんだ?俺達は家族なんだから、時には我侭を言ってもいいんだぞ。」
「俺、我慢なんてしてません。」
「相変わらず、頑固だな。いいか、和希。今のご時世だ。せめて高校くらいは出ておきなさい。」
「行きません。俺は紘司兄さんみたいに神父になる為に神学校に行きたいわけじゃない。何の目標もなく高校へ行くのは時間とお金の無駄です。」
「本当にそう思うのか?和希はまだ15歳なんだぞ。これから先、何があるか解らないじゃないか。結論を急いじゃいけない。とにかく、高校だけは行きなさい。」
「嫌です。」
「和希!」
「いくら紘司兄さんからの頼みでもこれだけは譲れません。俺の人生なんだ。俺の好きにして何がいけないんですか?」


バシッ!!
篠宮は和希の頬を叩いていた。
驚いた和希は口もきけない状態だった。
先に我に帰ったのは篠宮だった。
「か…和希…すまない…大丈夫か?」
「あっ…はい…」
和希は唖然として篠宮を見ていた。
今まで1度だって和希に手をあげた事がない篠宮が和希を叩いたのだから、仕方がないのかもしれない。
けれども、叩かれた頬よりも心の方が和希は痛かった。
「和希。叩いたのは俺が悪かった。だが、和希も意固地になりすぎだぞ。」
「俺が…意固地に…ですか?…」
「ああ。和希はいつも周りを気にしてくれている。俺はそれは素晴らしい事だと思っている。けれども今和希がしようとしている事は周りを苦しめる事だぞ。」
「周りを…苦しめているの…?」
「和希が高校へ行かないと言う事はそれだけ事が重要な事なんだ。和希は賢い子だから、この意味が解るな。」
和希は暫く篠宮を見つめた後、コクリと頷いた。
篠宮は優しく微笑んで言った。
「よし!解ったならそれでいい。後はどうするかは和希自身が決めなさい。」
「俺が決めてもいいの?」
「ああ。高校に行くのも行かないのも和希の自由だ。ただ、これだけは覚えておきなさい。和希が本当に望む事なら父さんも母さんも俺も反対はしない。皆を納得させる理由をきちんと見つけて説明しなさい。いいね。」
「…はい…」
和希は真剣な眼差しで篠宮に答えた。





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