どんな微笑よりも…5
「紘司にいさん、ただいま。」
和希は教会の入り口で掃除をしていた篠宮に声をかけた。
「お帰り、和希。」
篠宮は和希に笑って答えた。
和希は定時制高校の2年生になっていた。
高校進学について散々揉めた結果、和希も篠宮の両親も妥協する形で収まったのが、和希が定時制高校に進学するという事だった。
和希は昼間は正社員として働きたいので就職すると言ったが、それは認められずにアルバイトをするという事になった。
学力がある和希にとって定時制高校の授業は物足りないものだったが、和希は休まずに毎日高校に通っていた。
アルバイトの方は人懐こく物覚えがいい和希はアルバイト先では大切にされていた。
今、この教会に住んでいるのは篠宮と和希の2人きりだった。
1年前、柾司の病気は悪化し、都会の専門病院に入院しなくてはならなくなった。
ここから通うのは無理があるので、篠宮の両親は教会側に頼んでその病院に近くの教会で働かせてもらうよにしてもらった。
夫婦揃って行ってしまった為に、篠宮が家の教会の牧師をする事になったのである。
高校生である和希は朝から夕方までアルバイトをし、その後1回家に帰って来て1時間ばかり家事をしてから定時制高校に行くという毎日を過ごしていた。
2人きりの生活なので洗濯や食事はそれ程大変ではないが、教会の管理は大変なので篠宮はいつも忙しそうに働いていた。
そんな篠宮を和希は助けようとできる限りの手伝いをしていた。
しかし、柾司の入院費用は高く借金をする生活を送っていた。
その借金の返済も上手くいかず、滞っている為教会にはしょっちゅう取り立てが来ていたので、最近は信者の足が少しだけ遠のいている状態だった。
そして、この日も例外ではなく取り立ての人が教会にやって来た。
「よう、篠宮の神父さんよう。お金はできたのか?」
「すまない。今日もまだなんだ。」
「ああ?いったいいつまで待てば払い終えるつもりなんだ?」
「もう少し待って欲しい。必ず返すから。」
「そう言ってよう、利子だけ払ってるのも辛いだろう?」
取り立ての人はチラッと和希を見ながら言った。
「篠宮の神父さんよう。いい加減に腹を括っちまいなよ。この坊やを俺らに差し出せば借金なんてチャラになるんだぜ。いや、もしかしたらお釣りだってくるかもしれねえぜ。」
そこまで黙って聞いていた和希が篠宮に声をかけた。
「紘司にいさん?どういう事ですか?」
「和希には関係のない話だから家に入っていなさい。」
「嫌です。この人が言っている事って何ですか?」
「いいから、家に入りなさい!」
珍しく篠宮が声を荒げた。
一瞬ビクッとした和希だったが、今日の和希は大人しく言う事を聞かなかった。
そんな様子を見ていた取り立ての人はニヤニヤしながら和希に言った。
「教えてやろうか、坊や。」
「はい、教えて下さい。」
「和希!家に入りなさいと言ってるだろう!」
篠宮の言葉を無視し、和希はその取り立ての人の話を聞いた。
「何、簡単な事だ。坊やを買いたいって言っているんだ。」
「…俺を…?」
「ああ。坊やなら高く買ってくれるからな。悪い話では無いと思うんだけどな。この篠宮の神父さんがうんと言ってくれなくて困ってるんだ。」
「当たり前だ。大事な弟を遊郭になんか売り渡すわけがないだろう。」
「遊郭…」
和希は言葉を失った。
遊郭に売り渡される程、借金をしてたのだろうか?
確かに柾司の入院費用は馬鹿にはならない金額だと思っていた。
だから和希もアルバイト代の殆どを篠宮に渡していた。
しかし、入院だけでは柾司の病気は治るわけもなくこれから手術代などさらにお金が掛かる事を和希は知っていた。
このままではどうにもならない。
もしも自分が遊郭に行く事によって家族がお金の心配をしなくてもいいなら、それに越した事はないと和希は思った。
18年前に教会の前に捨てられていた自分をここまで育っててくれた篠宮の両親に恩返しができるのだ。
柾司の手術代だって出せるかもしれない。
遊郭に行くなど考えるだけでも和希は怖かった。
だが、家族の為を思えば何だってできる…和希はそう思って思い切って取り立ての人に声をかけた。
「俺が遊郭に言ったらいくらになるんだ?」
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