どんな微笑よりも…9
中嶋はとにかく凄かった。
あの後やってきた借金の会社の人との話合いは相手を圧倒するものがあった。
返済は全額現金でその場で払ったので、和希の遊郭行きの話はもちろんなかった事になった。
借金の書類はその場できちんと返済済みにし、今後教会への出入れもないように約束させた。
借金の会社の人と取り立ての人が帰った後、中嶋は書類を見ながらため息を付いた。
「おい、篠宮。この利息は何なんだ。よくこんな悪徳業者の所から借りたな。」
「そうなのか?俺はよく解らなくて…」
「よく解らなくてじゃないだろう。どうしてもっと良心的な所から借りなかったんだ。」
「どこに借りていいんだかよく解らなかったので、教会に来ている信者の方の知り合いに教えてもらったんだ。」
「ほう。ならそいつらもグルかもな。」
「中嶋。そう言う言い方はよせ。相手を知らないのに人を悪く言うのはよせ。」
「まったく、篠宮は昔っから人がいいのだからな。とにかく今後何かあったら俺に相談しろ。何かある度に祖母に呼び出されてはたまらないからな。」
「ああ。本当に済まない。今回は中嶋がいなければ、和希が酷い目に合う所だったからな。本当に助かった。どうもありがとう。」
篠宮はそう言うと中嶋に向って頭を下げた。
「別にこの程度の事なら構わないさ。それよりも俺はもう帰らなければならないんだ。和希を連れて行ってもいいな。」
「もう?それでは急いで支度をさせるから、少しの間待っててもらえるか?和希、急いで用意をしなさい。」
「はい。紘司にいさん。」
和希はそう言うと支度をしに教会に入ろうとするが、その腕を中嶋に掴まれた。
「あ…あの…中嶋さん…」
「支度はいい。そのまま来い。」
「はい?」
和希は困った顔をして中嶋を見た。
中嶋はニヤッと笑うと、和希の耳元で囁いた。
「お前の着るものは全て俺が選んだ物にするんだ。今からお前を俺の好みに変えてやるからな。」
カァ…と和希の顔が赤くなった。
そんな和希の様子に気付いた篠宮は、
「和希?どうしたんだ?」
「な…何でもありません。」
「しかし…」
心配そうな顔をした篠宮に中嶋は、
「篠宮、和希はこのまま連れて行くから別れの言葉があればかけてやるといい。」
「ああ。だが、時々なら会いに行っても構わないか?」
「もちろんだ。」
篠宮は和希に近づくとその頬にそっと触れた。
「和希。俺がふがいないばかりにお前に苦労をかけてしまって済まない。だが、中嶋は信用できる奴だ。中嶋の為に精一杯尽くしてくれるか?」
「はい、紘司にいさん。中嶋さんのおかげで借金も全て返済できましたので、俺は安心して中嶋さんの所でお世話になります。」
「和希は家事が上手いが場所によってはやり方が色々違うので、そのやり方をしっかりと教わってやるんだぞ。それから何かあったら必ず俺に連絡しろ。いつでも和希の所に飛んで行くからな。」
和希はクスッと笑うと、
「もう…紘司にいさんは本当に心配性なんだから。大丈夫ですよ。」
「和希…」
「紘司にいさん、父さん達によろしく伝えといてくださいね。」
「ああ。俺も頑張って働いて、早く和希を迎えに行くからな。」
「はい。待っています。」
「もう、いいか。」
中嶋の声に和希は篠宮に向ってふわりと笑って答えた。
「それじゃ、行ってきます。」
「ああ…」
中嶋に向って歩き出した和希を篠宮は引き止めたかった。
なぜか、今別れたら二度と会えない気がしたからだ。
けれども、伸ばしかけた手を篠宮は引っ込めるしかなかった。
なぜなら、中嶋の手が和希の肩を掴んで和希を引き寄せたからだ。
なぜだか解らなかったが篠宮の胸はギュッと痛んだ。
17年前、教会に捨てられていた和希。
あの時から篠宮はずっと和希を見つめてきていた。
弟の柾司が生まれ、その子が心臓に病気を持っていた為、両親は柾司に付きっきりになった。
けれども和希は拗ねる事なく、忙しい両親を助けようと小さいながらにも色々と頑張っていた。
その頑張っている姿はとても健気だった。
気付けば、『紘司おにいちゃん』から『紘司にいさん』に呼び方が変わっていた。
そしていつも遠慮がちな態度で家族に接していた。
けれども、時々見せる本当に嬉しそうな顔はとても可愛らしくて綺麗な笑顔だった。
その顔が見たくて和希の喜ぶ事を探していた自分がいた。
大学進学中の寮生活の時と、他の教会で修行していた時以外いつも自分の側にいた和希。
特にこの1年間の和希との2人きりの生活は幸せそのものだった。
気が付くと和希はいつも自分の側にいて微笑んでくれていた。
それなのに、明日からはもう和希は自分の側にはいなくなってしまう。
篠宮は慌てて声をかけた。
「中嶋、和希の事をよろしく頼む。俺の大切な弟なんだ。」
「ああ、解っているさ。俺なりのやり方で可愛がってやるさ。」
「和希。中嶋に可愛がってもらうんだぞ。」
「はい、紘司にいさんもお元気で。俺がいないからって食事を抜いたりしたら駄目ですよ。」
「ああ。」
「それじゃ、篠宮。何かあったら連絡をくれ。行くぞ、和希。」
「はい、中嶋さん。」
中嶋の後について歩いていく和希の姿を篠宮は姿が見えなくなってもずっと見つめていた。
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