未来への扉13
和希が倒れてから1週間が経っていた。
あの日から和希は学校に来ていなかった。
哲也は気になり何度か会いに行ったり、電話を掛けてみたのだが、いつも和希には繋いでもらえなかった。
『申し訳ありません。和希様は今体調が優れないのでお会いできません。』
『和希様は今休んでいますので今は電話には出られません。』
毎回そんな事ばかり言われさすがの哲也も少し落ち込んでいた。
生徒会室でため息をつく哲也に中嶋が声をかけた。
「いやに元気がないじゃないか?哲っちゃん。」
「ヒデ…」
捨てられた子犬のような目をして中嶋を見詰める哲也。
哲也が落ち込んでいる理由等解っている中嶋はニヤリと笑って答えた。
「どうしたんだ?」
「それがさあ…遠藤の奴が倒れてからもう1週間が経つだろう。俺さあ、気になって何度か鈴菱家まで会いに行ったり電話を掛けたりしたんだけどよぅ。ガードされているみたいで会えないし、電話にも出てもらえないんだよ…」
しょぼくれて言う哲也を中嶋はジッと見る。
それはガードされているわけではなく、避けられているんだ。
何でそんな事すら解らないんだ、この馬鹿は…中嶋はそう思った。
遠藤が丹羽を避けた事など中嶋は知っていた。
おそらく丹羽に過去を知られたくないと言う思いなのだろう。
まったく健気な事だ。
確かに遠藤の過去を知った時、自分ですら正直動揺した。
遠藤が養子だった事はあまり気にはならなかった。
が…
父親があの犯罪者の久我沼で、しかも虐待されて育った事、そしてその父親によって客を取らされ、そのショックから自殺を図った遠藤の過去。
自分には受け入れられてもどう足掻いても丹羽には無理だろうと、長年丹羽の親友をしている中嶋は思っている。
だから遠藤の選択はある意味正しいと言えると思っている。
一生隠し通す事などおそらく不可能なのだから、下手に恋人になるよりこのまま先輩後輩でいた方がずっといい。
中嶋もそう思っていた。
「丹羽、悪い事は言わない。これ以上遠藤に関わるな。」
「あ〜、またそれを言うのか?ヒデ、お前は遠藤の何を知っているんだ?」
「何を知っていようが貴様に話す必要はない。」
「何でだ?」
「物事には簡単に喋ったりしてはいけない事があるんだ。それくらいお前の頭でも理解できるだろう?」
「そりゃ…でもよぅ…何でヒデが知ってて俺が知っちゃ拙いんだ?」
中嶋はため息をついた。
こんなに諦めの悪い丹羽をみたのは久しぶりだな。
まったく、こいつときたらここまで遠藤に惚れているのか?
もしかしたら奇跡が起きるかもしれないな。
それにかけてみてもいいか…
だが、俺もあいにくと遠藤に惚れているので簡単には諦めないがな。
まあ、ライバルとして認めてもいいか。
中嶋はニヤッと笑うと、
「丹羽。知りたければ自分で調べろ。その結果まだお前が遠藤を好きと言えるかどうかは解らんがな。」
「へっ?それはどういう意味だ?」
「それくらい自分で考えろ。ただし、これだけは忠告してやる。遠藤の背負っているものは重いぞ。それをお前が支えられるとは俺は思えない。」
「何だと?ヒデ、お前は支えられるって言うのか?」
「ああ、もちろんだ。」
「ヒデにできて俺にできない事なんて無いだろう?」
「さあ、どうだろうな。」
嬉しそうに笑う中嶋に哲也は自信たっぷりに言った。
「そんなもの、知ってみなきゃどうにもならないだろう?でも、何があっても俺は遠藤を支えてやる自信はあるからな。」
いつもの自信に満ちた顔になった哲也を中嶋は楽しそうに見ていた。
「和希!!」
朝、食堂に現れた和希に向って豊は叫んだ。
和希が学校で倒れてから2週間経っていた。
あの倒れた日…和希は家に帰って来て部屋に入ったきり、誰にも会おうとはしなかった。
もちろん豊も例外ではなかった。
心配した鈴吉や鈴菱によって毎日医師の松岡のみ和希に会っていた。
食事も殆ど取らない和希に松岡は栄養剤を飲ませていたようだ。
豊は聞く事はさせてもらえなかったが、毎日松岡は帰るときに石塚に和希の様子を話していたようだった。
聞いた話を石塚は鈴吉や鈴菱にしていた。
そんな生活が2週間程続いていた。
「豊さん、おはようございます。」
和希はニッコリと笑って言った。
そして、鈴吉や鈴菱の傍に行くと、頭を下げて、
「おじい様、おじ様、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」
そんな和希に鈴吉は、
「もう大丈夫なのか?」
「はい。我がままをさせて頂いて申し訳ありません。」
「そんな事はどうでもいい。少し痩せたな。」
「そうですか?」
和希は首を傾げる。
確かに誰がみても解る位和希は痩せてしまっていた。
だが、その目はしっかりしていてもう大丈夫だと物語っていた。
「心配したんだよ?和希君。」
「おじ様ごめんなさい。」
「いや、和希君の笑顔が見れてホッとしたよ。今日は1日ゆっくりとしなさい。」
「あの…学校に行きたいんです。」
「学校に?」
「はい、駄目ですか?」
「いや、駄目というわけではないが、無理は感心しないな。」
「大丈夫です。2週間も休んだんです。授業とかも心配ですし…行っても構いませんか?」
「そうだな…」
渋る鈴菱に鈴吉が言った。
「午前中だけなら構わないだろう。」
「いいんですか?おじい様」
「ああ…4時間目が終わる頃石塚を迎えにいかせよう。それから午後は松岡先生の所に行って診察をしてもらうんだよ。」
「はい。ありがとうございます。」
ぱあ〜と明るい笑顔になった和希に鈴吉も鈴菱も安心する。
「和希、俺も一緒に行くよ。」
「駄目ですよ、豊さん。今日は学校に行く日ではないでしょう?豊さんは自分がするべき事をして下さい。」
「でも!俺は和希が心配なんだ!!」
「豊さん、俺1人でも大丈夫ですから。それに午前中だけですから安心して下さいね。」
「和希…?」
豊は驚いていた。
こんなはっきりと物事を言う和希は初めてだった。
この2週間誰にも会わずに何を考えていたのだろう?
変わってしまった和希に少し戸惑いを感じながら、
「そうか…なら頑張って来いよ。」
「はい。豊さん。」
笑顔で答える和希の顔はいつもと同じだったが、確実に何かが変わった和希だった。
4時間目が終わった時、教室の前に石塚は来ていた。
「こんにちは、石塚さん。」
「いつも豊様と和希様がお世話になっております、海野先生。」
「そんな事ありません。鈴菱君も遠藤君もいい子なので僕とても助かってるんですよ。」
海野はニッコリと笑って答える。
「遠藤君、随分と痩せてしまったけど大丈夫ですか?」
「はい、お蔭様で。今日は何か変わった様子はありませんでしたか?」
「う〜ん特に聞いてないから大丈夫だと思いますよ。暫くはあんまり無理しない方がいいですね。」
「はい。暫くは午前中のみでお願いします。」
「はい、承りました。あっ、遠藤君、こっちこっち。」
海野は教室から出てきた和希に手を振る。
和希はクラスメート数名と教室から出てきていた。
「海野先生。」
「あれ?海野先生も和希君の見送り?」
「それって僕達と一緒じゃないですか?」
和希の鞄を持った生徒の1人が言う。
「ありがとう、ここでもういいから。お昼食べる時間が減っちゃうよ?」
「水臭い事言うんだな、和希君は。」
「もっと甘えてくれていいんだよ、クラスメートなんだからさ。」
「午後の授業のノートは明日渡すからね。」
「ありがとう。」
クラスメートから鞄を受け取りながら和希は微笑んで言う。
割と休みがちの和希だが、その性格のせいか皆に好かれている。
そんな和希の学生生活を見て石塚は安心する。
「それでは、参りましょうか?和希様。」
「はい。」
石塚にそう言った後、和希は教室の前にいるクラスメートに手を振って教室を後にした。
「和希様はお友達も多いのですね?」
「はい。皆とても親切な方なので助かってます。」
ニッコリと笑って下駄箱で靴を履き替えた和希の耳に今1番会いたくない人の声が響いた。
「遠藤!もう帰るのか?」
「丹羽先輩…」
「さっき聞いたんだ。遠藤が今日から学校に来ているって。俺、どうしても話があるんだ。少しでいいんだ。時間をもらえないか?」
和希は困った顔をして石塚を見る。
石塚は時計を見ると、
「構いませんよ、和希様。それでは校門で待ってます。」
「済まねぇな、石塚さん。」
「いいえ、哲也様。けれど、和希様は病み上がりですので、できるだけ手短にして下さいね。今日もこれから病院ですので。」
「解った。暫く遠藤を借りるな。」
哲也の後に付いて和希は下駄箱のすぐ側の人があまり来ない場所に連れて行かれた。
そこで和希は信じられない言葉を哲也から聞く事になる。
「遠藤。時間が無いんではっきりと言う。俺は遠藤が好きだ。俺と付き合ってくれ!」
「遠藤。時間が無いんではっきりと言う。俺は遠藤が好きだ。俺と付き合ってくれ!」
哲也からの突然の告白に和希は唖然とする。
何も言えずにだたジッと哲也を見詰める和希に哲也は言った。
「遠藤…その…返事を聞かせてくれ…」
ハッと我に帰る和希。
「丹羽先輩…俺は丹羽先輩とはお付き合いできません。」
「どうしてだ?遠藤は俺の事が好きだろう?」
「好きですけど…それは先輩としてです。」
「嘘だ!」
「嘘って…」
大声を出した哲也に和希は驚き、そして困ってしまった。
どうして急に俺の気持ちが解ったのだろう?
俺が休んでいた2週間の間に何があったんだ?
でも、何があったとしてもしらを切るしかない。
こんな汚れた過去を持つ俺が綺麗な丹羽先輩の側にいてはいけない。
本当は丹羽先輩の告白はもの凄く嬉しいけれども、それに答える事はできないのだから。
これからも先輩後輩としての関係を崩さないように付き合わなければいけない。
もしも、避けられるような関係になったら辛いから。
和希はゆっくりと口を開いた。
「嘘じゃありません。ねえ、丹羽先輩。誰から何を聞いたかは知りませんが、俺は丹羽先輩の事は先輩として尊敬してますし、大好きです。でも、それは恋愛感情ではありません。ご理解下さい。」
そう言って頭を下げ、その場を去ろうとした和希の腕を哲也は掴み、
「遠藤。本当の気持ちを聞かせてくれ。俺はこの通り鈍い男だ。だが、やっと遠藤への想いに気付いたんだ。俺は遠藤が好きだ。愛している。俺のこの手で、遠藤を幸せにしたいんだ。俺には、お前が何に怯えて俺との事をただの先輩後輩にしたがっているのかは、解らない。
でも、これから先どんな困難が待ち受けてようと俺は遠藤を愛し続けたいんだ。」
「丹羽先輩…」
知らずに和希の目から涙が流れる。
こんなに熱い想いを語られるとは思わなかった。
和希だって哲也が好きなのだ。
ただ…あの過去がある限り幸せになんてなれない。
和希は哲也に過去を知られ嫌われるのが怖かった。
和希の戸惑った表情と涙に哲也は慌てた。
困らせるつもりはなかった。
ただ、自分の想いに気付いて、そして遠藤の想いを知ってしまった以上今のままではいられなかった。
自分の手で遠藤を幸せにしたいだけなんだ。
哲也は和希の頬を流れる涙を手でそっと拭った。
ビクッと震える和希。
「遠藤、どうしても俺とは付き合えないのか?」
「俺は…」
和希は辛そうに言った。
「俺は丹羽先輩には話せない過去があるんです。」
「過去?誰にだって隠したい事の1つや2つあるだろう?」
「違うんです。そんな優しい過去じゃない。きっとその過去を知ったら丹羽先輩は俺の事を嫌うに決まっている。」
「どうしてそんな風に思うんだ?俺はそんなに心の狭い人間じゃない。」
「でも…」
苦しそうに俯いた和希の顔を見て哲也は豊に言われた事を思い出した。
「和希は苦労している」と言う台詞を…
哲也は和希の頭に手を置くと頭を撫でながら言った。
「なあ、遠藤。今は言えなくてもいい。いや、言いたくなかったら言わなくたっていい。俺はどんなお前だって受け止める勇気は持っている。だから、その事だけで断るなら止めてくれ。俺は遠藤の本当の気持ちだけが知りたい。俺を恋愛の対象としては見れないのか?」
「丹羽先輩…」
真っ直ぐな哲也の瞳に和希の心は揺らぐ。
過去を隠したままでいつまで付き合えるのだろうか?
でも…もしも許されるなら、丹羽先輩の手を取りたい。
何度も過去を思い出して眠れない夜を過ごした。
辛くて悲しくて…でもどうにもならない過去。
大変だけれども幸せに過ごしている従兄弟の豊が何度羨ましいと思った事だろう。
同じ従兄弟なのに、この違いは何なんだろうと思った。
思ったって仕方がない事なのに。
豊が悪い訳じゃない。
でも…
自分だけが貧乏くじを引いた気分だった。
そんな風に思う自分が醜く思えて凄く嫌だった。
幸せになってもいいんだろうか?
こんな自分でも構わないのだろうか?
過去を明かさなくてもいいと丹羽先輩は言ってくれた。
なら…
和希はじっと哲也を見詰めた
。
「俺の…過去を…本当に話さなくていいんですか?」
「ああ、構わない。」
「なら…」
「なら?」
「俺は…丹羽先輩の事が好きです。こんな俺で良かったら付き合ってください。お願いします。」
頭を下げた和希を哲也はギュッと抱き締める。
そのあまりの強さに和希は身をよじる。
「痛いです…丹羽先輩…」
「あっ…悪い。」
腕の力をほんの少しだけ緩める哲也。
「遠藤。俺がお前を幸せにしてやる。だから安心して俺に全て任せろ。」
「…はい…」
哲也の腕の中で和希は涙を流しながら答えた。
いつかきっと過去がばれて別れる日が来るだろう。
でも…今だけは…この辛い気持ちを救ってもらいたい。
自分を好きだと言ってくれる丹羽先輩の気持ちを利用するようで心苦しいが、今の自分にはこの手がどうしても欲しかった。
…ごめんなさい、丹羽先輩…
和希は心の中でそう呟いていた。
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