未来への扉15

昨夜から鈴菱家は人の出入りが慌しかった。
なぜなら警察が出入りしているからだ。
昨日、和希を車で迎えに行った石塚は和希には会えなかった。
もちろん和希は鈴菱家に帰って来なかった。
誘拐…そう考えてまず警察は動く。
まだ16歳といっても和希はりっぱな遠藤家の当主だ。
誘拐して身代金を要求する…そう思われたが、未だに何も連絡がこない。
まさかとは思うが身体目当ての強姦事件かともと警察も疑い始めていた。


その頃、豊は哲也が来ているという部屋に向っていた。
豊は許せなかった。
もしも和希が無事に帰ってきて、哲也を許すと言っても豊は哲也を許せなかった。
昨夜、鈴菱家にやってきた久我沼啓二。
その男から豊は和希が実は久我沼と鈴香おばさまの子で、遠藤家には養子に入った事を知らされ激しくショックを受けた。
だが、もしもそこに和希がいたなら『俺はそんな過去は気にしない。今の和希が大切だから』と言ってやったのに。

もちろん、豊が知っているのはそこまでだった。
なぜなら、その後は帰ってきた祖父と父が久我沼と3人で話しをすると言うので部屋から出されたからだ。
だから、豊は何も知らない。
その後、久我沼が鈴吉と鈴菱に告げた真実を…


バンッと激しくドアを開いて豊はその部屋に入る。
その部屋には哲也と若い刑事がいるだけだった。
「豊さん、どうかなさったんですか?」
若い刑事が豊に声をかける。
「はい、哲也にちょっと。今構いませんか?刑事さん。」
「ええ、構いません。どうぞ。」
豊は若い刑事に軽く頭を下げると、哲也の側の椅子に座った。


静かに椅子に座っている哲也はどこか遠くを見ている感じがした。
昨夜、和希の行方が解らなくなって大騒ぎになっていた頃、和希と最後まで一緒にいたのが哲也だと解った。
いつもならとっくに帰っている時間なのに帰って来ない哲也を竜也は探した。
家の近くの公園のベンチに俯いて座っている哲也を見つけた竜也は事の次第を聞くのは明日にすると決め、哲也を家に帰らせて寝かせ、先程一緒に鈴菱家にやってきたのであった。
この部屋で昨夜のこ事を色々聞かれた哲也は素直に全て話した。
そして話終わった頃豊が入ってきたのだった。


豊は一言言った。
「なぜ、和希を1人にした?」
「…」
「俺も久我沼啓二にあって、和希の過去の話を聞いた。確かにショックだった。けど、1番辛かったのは和希だったんだろう?」
何も言わない哲也に豊は苛立ちを積もらせる。
「哲也!確かに和希が養子だったのは俺も驚いたよ。しかも本当の親があの犯罪者の久我沼啓二だったんだからな。だけどな…哲也は和希の恋人なんだろう?確かに和希は何も俺達には言わなかった。それを騙したって言われても仕方がない事だ。けど…和希が言えなかったのは仕方ない事だろう?誰だって犯罪者の子とは知られたくないんだから…」
「違う!」
豊の言葉を遮るように哲也は怒鳴った。
「確かに黙ってたのはショックだった。でも、そんな事はどうでもいいんだ。俺が気にしたのは…」
「気にしたのは?」
「…」
哲也はまだ黙ってしまった。
豊はおそらくあの話は知らないのだろう。
ならあえて知る必要はないだろう。
哲也はそう判断した。


「とにかく今は和希がどこにいるのか知るのが先決だろう?」
そう言った哲也の顔は僅かだが、自信に満ちた表情になっていた。
哲也だって1晩散々悩んだのだ。
落ち着いて考えれば遠藤が自ら進んで身体を売るわけがない。
もしも本当に身体を売ってたとしてもそれは父親に無理やりやらされたに違いない。
遠藤はそんな奴だ。
自分がいくら苦しんでも回りの人が幸せになるならそのやり方を選ぶ奴だ。
そんな遠藤の性格を1番知っているのは俺だったのに…
自分が許せないい気分だった。


その時部屋がノックされ、別の刑事が入ってきた。
「遠藤和希の行方が少し解りました。」


鈴菱家のリビングで警察から聞かされた和希の行方。
今朝早く和希は遠藤家に戻ったそうだ。
そこで、執事の河本に会い今回の出来事を話した。
これ以上和希が鈴菱家にいると迷惑が掛かるのでもう戻らないという事だった。
もちろん、ベルリバティスクールは退学するそうだ。
久我沼が刑務所から出てきた以上、どんな事をしでかすか解らないのでこれ以上鈴菱家には関わりをもたないようにしたいとの事だった。
今まで散々世話になって挨拶もなしに鈴菱家を去る無礼を許して欲しいとの事だった。


そこまで黙って聞いていた哲也が言った。
「ふざけるな!そんな理由でここからいなくなると遠藤は言ったのか?」
「はい、そのように伺ってます。」
若い刑事が答えた。
「お父様、和希に何とか戻ってくるように説得してもらえませんか?俺、このままなんて嫌です。」
「豊…」
鈴菱は複雑そうな顔で豊を見る。


昨夜、久我沼から聞いた事実。
和希と豊が入れ替わったという事。
本当の我が子はここにいる豊ではなく和希なのだ。
久我沼から虐待を受け、挙句に客まで取らされた和希。
貧しい暮らしで母を亡くし、自らの命を絶とうとした。
大切な妹が残した忘れ形見。
今までずっと苦しんできた和希を妹のかわりに大切にしようと思っていた。
そう思ってずっと接してきた。
確かに和希は賢かった。
物覚えがよく、控えめでいて、それでいて相手を立てる事を知っていた。
正直言えば、豊よりも数段できが良かった。
だが…今更本当の我が子ですと言われて、それじゃ豊と交換しますなんてできる筈がない。
自分の後継者として生まれた時から育ててきた。
豊だってそれに答えようと必死で頑張ってきたのだ。
たとえ我が子じゃなくても今さら変える事などできない。
和希と豊のどっちかを取れと言われたら迷わず豊を選ぶだろう。
和希には申し訳ないが…


必死に頼み込む豊に鈴菱は、
「和希君の意思を尊重してあげよう…」
とだけ答えた。
今の鈴菱にとって和希は重荷でしかないのだ。
自分の本当の親を知ってしまった和希に鈴菱はどう接すればいいか解らなかった。
ただ…もしも世間に和希と豊の関係がばれれば大変な事になる。
鈴菱本家の跡取り問題に発展してしまうからだ。
間違いなく、周りは和希を跡取りに押してくるだろう。
それほど、血筋は大切なのだ。
それはよく解っている。
だが、それでは豊があまりに不憫だ。
楽しい事も子供らしい事もさせずに鈴菱本家の跡取りとしてここまで育てあげたのだ。
誰よりも愛しいと思っている。
それを血が繋がっていないという理由だけで排除して欲しくない。
誰に何を言われようと鈴菱は豊を守るつもりでいた。


そんな鈴菱の気持ちなど豊は知るよしもなかった。
豊は不満そうに言う。
「お父様。それじゃ和希が可哀そうです。確かに和希はあの久我沼の本当の子かもしれないけど、お父様の大切な妹の子でもあるんでしょ?今度は鈴菱で和希を引き取るべきじゃないんですか?」
「豊…」
困りきった鈴菱の代わりに鈴吉が答えた。
「豊。和希は今は遠藤家の当主なんだ。遠藤家に養子に入っている以上、もうこれ以上は私達は関わってはならない事なんだ。解るね、豊。これは遠藤家の問題なんだ。」
「おじいさま…」
豊は絶望した顔をする。
「お父様もおじいさまも和希に冷たすぎます。和希はあんなにも鈴菱の為に頑張ってきたのに…これじゃ、和希が可哀想だ!!」
豊はそう叫ぶとリビングから飛び出して言った。
そのすぐ後を石塚が追う。
鈴吉も鈴菱も石塚がついていれば安心だとその場に残っていた。


「辛い選択だな、鈴菱。」
鈴菱の肩をポンっと叩きながら竜也は囁いた。
竜也には鈴菱の悩みが痛いほど解っていた。
そして鈴菱が最後に選ぶのは和希ではなく豊だという事も…
鈴菱は苦笑いをする。
学生時代からの親友の竜也には隠し事など通じない。
だから…
「俺は最低の親だな…」
そう呟く鈴菱に竜也は、
「そうか?俺はお前の考えは間違ってないと思うぞ。きっと和希君もそう願ったから鈴菱家から去ったんじゃないか?俺はそんなに和希君について詳しくはないが、あの子はそういう子だろう?自分の幸せよりも周りの幸せを望む子だ。きっとお前の妹がそう育てたんだろう?いい子に育って良かったじゃないか。お前は和希君の事を誇りに思えばいいんだ。たとえ、名乗れなくても心の奥底で我が子だと思って見守っていればそれでいい。俺はそう思うぞ。」
「竜也…」
「なっ。」
「ああ…そうだな…ありがとう…」
「別に大した事はしてないぞ。」
朗らかに笑う竜也に、鈴菱もやっと笑顔が戻ってきた。


その時だった。
「親父…今の話はなんだんだよ…遠藤は久我沼の本当の子じゃないのか?本当は鈴菱の家の子なのか?」
「哲也。」
「哲也君…」
この場に哲也がいた事を忘れて話てしまった事に落ち度を感じた竜也だったが、
「哲也。この事は誰にも言うな。解ったか。」
竜也に睨まれても、哲也は引かない。
誰よりも愛した大切な遠藤の事なのだから。
あの時、自分の心の弱さで遠藤を一人にしてしまった。
本当なら大丈夫だからと側にいて守ってやれなければならなかったのに。
自分の弱さに呆れた。
だから、今度はもう2度と同じミスは犯さない。
今度こそどんな事があっても遠藤を守ってやると心に誓っていた。


「こんな大事な事誰にも言うつもりはねえよ。だから本当の事を教えてくれ。遠藤は本当は誰の子なんだ。」
「私の子だ。」
「鈴菱?」
「鈴菱のおじさん…」
「哲也君。悪いがこの話は豊にはけしてしないと約束してくれるかい?」
「はい。約束します。けして豊には言いません。」
「和希君は生まれてすぐに久我沼の手で豊と入れ替えられたんだ。だから私の本当の子は和希君で久我沼の本当の子は豊なんだ。けれども、私はここまで疑いもなく豊を我が子として育ててきた。今更本当の子だと言われても和希君を我が子として受け入れられないんだ。」
「そんな…だって遠藤は血の繋がった本当の子なんだろう?なのに…」
「哲也。お前だって解るだろう?例えば今お前が俺の子じゃないと言われたら『はい、そうですか』と言って俺から離れられるのか?」
「そんな事できるわけないじゃないか!俺の親父は親父だけだ。」
「だろう?なら鈴菱の言いたい事も解るな。」
「あっ…」
哲也は暫く考えた後、鈴菱に頭を下げた。
「鈴菱のおしさん、ごめんなさい。俺、考えなしに言ってしまって。1番辛いのは鈴菱のおじさんなのに…。本当にごめんなさい。」 「哲也君、いいから頭を上げて。悪かったね、こんな辛い話をしてしまって。君は和希君と親しくしてくれてるんだろう?豊から聞いているよ。」
「豊から?」
「ああ。『和希が哲也を慕って懐いているんだ』ってね。少し悔しそうに言ってたよ。豊も和希君の事を大切にしていたからね。」
「そうですか…」


「和希君は昨夜この事を久我沼から直接聞いたそうだ。だからここには戻って来ずに遠藤家に行ったんだろうな。」
「親父、その遠藤家ってのはどこにあるんだ?俺は遠藤に直接会って話がしたいんだ。」
「その必要はありません。和希様はもうこちらとの関わりを切りたいと申し出ています。」
「なっ…」
「河本さん。」
「ご無沙汰しております。鈴吉様、鈴菱様。お話中失礼かとは存じましたが、和希様よりお手紙をお預かりしましたのでお届けにまいりました。」
「和希から?」
「はい、鈴吉様。こちらです。鈴吉様、鈴菱様、豊様、それから丹羽哲也様の分もお預かりしてます。」
「俺の分もか?」
「はい。」
河本から手渡された白い封筒には和希の字で『丹羽哲也先輩へ』と書かれていた。


河本から渡された和希からの手紙。
鈴吉、鈴菱、哲也の順に渡された。
ここにいない豊の分は父鈴菱が受け取っていた。


鈴吉は手紙を開く。
『おじいさま』と和希の字で書かれているその手紙を鈴吉は黙って読み始めた。
『おじいさま、黙って姿を消した俺を許して下さい。
 でも俺はもう鈴菱家には戻りません。
 その方がいいのはおじいさまならお分かりになられますよね。
 おじいさまはもう久我沼の父から本当の事を聞いていると思います。
 俺と豊さんが入れ違った事を既にご存知ですよね。
 だから、俺はもう鈴菱家には戻りません。
 俺がいればまた久我沼の父が鈴菱家に来てしまう。
 それだけはどうしても避けたいんです。
 おじいさま、鈴菱のおじさまの子供は俺ではなく豊さんです。
 鈴菱本家の跡取りとして育てられた豊さんです。
 俺はこれからゆっくりと今後の事を考えたいと思ってます。
 もう2度と無茶な真似はしないので安心して下さいね。
 でも…鈴香お母様の分までおじいさまの側にいたいと思っていたのにできなくなってごめんなさい。
 遠く離れていても、俺はおじいさまの事を思ってます。
 自分勝手な俺を許して下さい。
                  遠藤和希』
「馬鹿な子だ…」
鈴吉はそう呟く。
いつもそうだ。
幸せになるチャンスは何度もあったのに、自分でそれを掴もうとはしない。
鈴吉はふっと笑った。
「何を言っても無駄か…あの鈴香の子だ。だが…今度は幸せを掴むんだぞ和希。」
そう呟いた。


鈴菱は震える手で手紙を持っていた。
本当の我が子からの手紙。
その内容は何なのだろう?
恐る恐る手紙を開ける。
『おじさま、今まで良くしてもらったのに挨拶もせずに黙って姿を消してごめんなさい。
 もう、久我沼の父から俺と豊さんの事は聞いていると思います。
 おじさま、おじさまとおばさまの子は豊さんだけです。
 俺は違います。
 俺の両親は鈴香おかあさまと久我沼の父と遠藤の父です。
 俺はもう2度と鈴菱家には戻りません。
 それが1番いいと思ったからです。
 鈴菱本家は豊さんが継ぐべきです。
 豊さんは鈴菱を継ぐのに相応しい人だと俺は思っています。
 短い間でしたが一緒に暮らせて幸せでした。
 本当にありがとうございました。
 最後に…1つだけ俺の我侭を聞いて下さい。
 1度だけ呼ばせて下さい。
 おとうさま、おかあさま、俺を産んでくれてありがとうございました。
 俺はお二人の子としてこの世に生を受けて幸せでした。
 2度とお目には掛かりませんが、いつまでもお二人の幸せを願ってます。
 豊さんと3人で幸せな日々を過ごして下さい。
                 遠藤和希』
「和希君…」
鈴菱の目には涙が浮かぶ。
自分は豊の事しか考えてなかったのに、和希君は自分の事よりも豊の事を1番に考えてくれた。
自分は父親失格だと思った。
たとえ、育てていなくても和希君は間違いなく自分の血を分けた子なのだ。
本当なら「大切な我が子」として抱き締めたかった。
でも、それをするのは怖かった。
自分がそれをしたら豊が困るからだ。
豊の為に和希君を見捨てたのだ。
それなのに、和希君は…
「良い子に育ってくれたんだね…さすが鈴香の育てた子だ…側にはいてやれないが、我が子だとも言ってはやれないが…それでもいいなら、心の中でいつも思っている。和希君。君は私も子だ。どこにいても和希君の幸せを思っているよ。」


哲也は和希からの手紙を大事そうに開いた。
大好きな遠藤。
誰よりも幸せにするはずだったのに、俺が手を離して悲しませてしまった遠藤。
今度こそは手放さない…そう心に決めていた。
『丹羽哲也先輩
 丹羽先輩、いままでたくさんの事を黙っていてごめんなさい。
 俺の過去はもの凄く汚れています。
 だから、丹羽先輩の隣にいる資格はありません。
 本来なら丹羽先輩の告白を受け取ってしまってはいけなかったと思ってます。
 でも…俺はそれができなかった。
 たとえ短い間でも丹羽先輩の側にいたかったから。
 でも、俺の我侭のせいで丹羽先輩には悲しい思いをたくさんさせてしまいましたね。
 ごめんなさい。丹羽先輩。
 そして黙って消える俺を許して下さい。
 俺は丹羽先輩にたくさんの嘘をついてしまいました。
 こんな俺の事は早く忘れて他の人を好きになって、幸せになって下さい。
 丹羽先輩、最後に1つだけ言ってもいいですか?
 大好きです。
 俺は丹羽先輩の恋人として側にいられてとても幸せでした。
 できたらこれからも丹羽先輩の隣で笑っていたかった。
 短い間でしたが、どうもありがとうございました。
                   遠藤和希』
「何だよ…この手紙…」
哲也は手紙をギュッと握る。
「これで俺との事を終わりにするつもりだったのかよ。ふざけるな。」
哲也は河本に言った。
「河本さん、遠藤はどこにいるんですか?」
「申し訳ありません。和希様はもうこちらとは関わりを持ちたくないと言って自分の居所を教えないで欲しいと頼まれましたのでお教えできません。」
「何だよ、それ…教えろよ。」
哲也は河本にくってかかるが、その哲也を竜也が止めた。
「止めるんだ、哲也。それが和希君の望みなら叶えてやろうとは思えないのか?」
「どうしてだ?どうして皆遠藤に冷たいんだ?遠藤が本当にここからいなくなりたいと願ってると本気で思っているのか?あいつは…もっと幸せにならなきゃいけないのに…」
哲也は俯きながらそう言う。
そんな哲也の肩を竜也は叩く。
「お前が本気で和希君を想っているというなら、時期を待て。」
「時期?」
「そうだ。今のお前は親に頼りっきりの存在だ。一人立ちをしたら和希君をむかえにいけばいい。」
「親父…」
「本気で惚れているなら短い時間だろう?」
竜也に言われ、哲也はニヤッと笑った。
「解った。必ずむかえに行くから待ってろよ、和希。」
哲也は嬉しそうそう言った。
 



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