未来への扉16

朝、目が覚めるとそこはふかふかのベットの上だった。
「俺…そうか、昨日鈴菱家に来たんだっけ。」
病院の白いベットでも久我沼の家でもない。
昨日から和希が暮らしていく場所はここなのだ。
ベットから起き上がると、服を着替え始める。
まだ左手は上手く動かないが時間を掛ければ1人でも着替えができる。
丁度着替えが終わった時、扉がノックされ豊が入って来た。
「おはよう、和希。」
「おはようございます、豊さん。早いんですね。」
「和希こそ早いだろう。それよりも何私服なんて着てるんだ?」
「えっ?」
「えっ…じゃないだろう?早く制服に着替えろよ。」
「制服って…俺まだ学校には行きませんよ?当分は病院に左手のリハビリに行かないとならないし。」
「そんなの、学校が終わってからでいいだろう。俺は今日から和希と一緒に学校に行きたいんだから。」
「でも…勝手な真似はできません。おじい様の意見を聞かないと。」
「おじい様の?なら大丈夫だ。俺がしたいって頼めばおじい様はいいって言ってくれるからさ。ほら、時間が無くなるぜ、和希。着替え1人じゃまだ大変だろう?俺が手伝ってやるから制服に着替えようぜ。」
「えっ?えっ?1人で大丈夫ですってば!」
「駄目だ!時間がもうないんだから、遠慮するな。」
「遠慮なんてしてません。恥ずかしいですから1人でできます。」
「まだ無理だって。和希ってばむきになって可愛いな。」
「なっ…豊さん!」
そうして和希の抵抗もむなしく、豊の手によって和希はあっという間にベルリバティ中学の制服に着替えさせられてしまった。
「うん!よく似合ってる!」
「そうですか?でも豊さん、やっぱりこの手じゃまだ学校に行くには無理があると思うんですが…」
「大丈夫!俺がフォローしてやるから、安心していいぜ。それよりも早く朝食を食べに行こうぜ。」
「あっ、はい。」


食堂に行くとそこには鈴吉と鈴菱がいた。
「おはようございます、おじい様、お父様。」
「おはようございます、おじい様、おじ様。」
「ああ、おはよう、豊、和希。」
「おはよう、豊。和希君夕べは会えなくて悪かったね。」
「いいえ。俺の方こそ先に休んでしまって申し訳ありません。」
「いいんだよ、それで。私達は仕事で帰りが遅い事が多いから、これからも自分のペースで生活しなさいね。それよりもゆっくりと休めたかい?」
「はい。お陰様で沢山寝ました。」
「それは良かった。もうここは和希君の家なんだからね。遠慮なんてしたら駄目だからね。」
「はい、ありがとうございます。」
「それよりも和希、お前その服…。よく似合ってるがまだ学校に行くのは無理だぞ。」
「あっ、はい。それは解ってるんですが。」
「ならどうして制服を着ているんだ?}
「俺が着せたんだ。今日から和希は俺と一緒に学校に行くんだから。」
「豊!」
鈴菱は豊を戒める。
「和希君はまだ事故の後遺症で暫くは病院通いをしなくてはならないんだよ。まだ学校に行くのは無理だ。」
「大丈夫だ。和希の面倒は俺がみる。フォローもする。」
「豊。世の中には出来る事と出来ない事がある。お前にはまだ無理だ。今回は諦めなさい。」
「イヤです!」
いつも聞き分けがいい豊が珍しく反抗した。
「豊?」
「まだやってもないのに、出来ないって決めつけるのは間違ってると思います。お父様はいつも仰るじゃないですか?やる前に諦めるなって。今回も同じです。1度でいいです。今日1日で構いません。俺にチャンスを下さい。」 黙って聞いていた鈴吉が笑いながら言った。
「クックッ…お前の負けだな。」
「父さん…」
「豊、頑張ってこい!」
「はい、ありがとうございます。おじい様。」
「まったく、父さんは豊に甘いんですから。豊、言った以上はきちんと和希君のお世話をしなさい。」
「はい、お父様。」
鈴菱は和希の方を振り向き、
「すまないね。悪いが和希君、豊の我が侭に付き合ってくれるかい?」
「そんな、我が侭だなんて。俺こそ迷惑を掛けてしまうのに。本当にいいんですか?」
「もちろんだとも。豊の事を頼むよ、和希君。」
そう言うと、鈴菱は和希の頭を優しく撫でる。
その撫で方は亡くなった母鈴香と同じものだった。
鈴菱は鈴香の兄なのだから、同じであっても当たり前なのだが、今の和希には懐かしかった。
豊は両親は仕事が忙しくていつも1人だと言っていたが、両親はたとえ側にいなくてもいつも豊の事を考え、思っていてくれる…和希はそう思い、そんな豊が羨ましかった。
忙しくても、会えるのだから…そう、亡くなってしまえばどんなに会いたくても、もう2度と会えないのだから… 「それでは私が和希を学校に連れて行こう。」
「おじい様?」
「転校初日だ。私が行って、校長に挨拶してこよう。」
「ありがとうございます、おじい様。」
和希ベルリバティ中学転入初日の朝の出来事でした。

「以上で説明は終わりですが、何かご質問はございますか?」
「いえ、結構です。」
「いいえ、ありません。」
ここは、ベルリバティ中学の校長室。
和希は今朝、鈴吉と豊と共にベルリバティ中学に来ていた。
校長室まで一緒に行くと言い張る豊は鈴吉に叱咤され、渋々自分の教室へ向かって行った。
そして、鈴吉と和希は校長室で校長から学校生活の注意について話を聞いていた。
「それでは校長先生。暫くは午前中のみという事でお願いします。」
「承りました、鈴菱様。それでは今から遠藤和希君は私共が責任を持ってお預かりしますので、ご安心下さい。」
その時、ドアがノックされ、副校長と少し小柄で可愛い男の先生が入って来た。
「おはよう、遠藤君。僕が君の担任の海野聡です。今日から僕と一緒に頑張ろうね。」
「あっ、はい、海野先生。よろしくお願いします。」
「海野先生、おはようございます。いつも豊がお世話になってます。」
「鈴菱さん、おはようございます。豊君いつも頑張ってますから安心して下さいね。」
「海野先生にそう言って貰えると、安心できます。」
「そんなあ、本当に豊君は良い子ですよ。勉強はクラスで上の方なのに、ちっとも威張らないし、気さくですから。」
「そうですか?何かありましたら、遠慮なく知らせて頂く様お願いします。」
「心配なさらないで大丈夫ですよ、鈴菱さん。豊君も遠藤君も僕に任せといて下さいね。」
「海野先生、遠藤君ですが当分は午前中の授業が終わったら早退という事でお願いします。」
「午前中のみですか、校長先生?」
「ええ、午後は病院でリハビリだそうです。」
「解りました。ではどなたかがお迎えに来られるんですか?」
「はい、家の者がおそらくは石塚が毎日来る予定です。」
「解りました、鈴菱さん。」
「よろしくお願いします、海野先生。校長先生、副校長先生、和希の事をよろしくお願いします。それでは私はこれで失礼します。」
「わざわざご足労頂いて申し訳ありません。遠藤君の事はどうぞ安心してお預け下さい。」
鈴吉は校長に頭を下げると、和希に言った。
「和希、先生方の言う事を良くききなさいね。それから4時間目が終わったら教室まで石塚が迎えに来るから、病院にリハビリしに行きなさい。」
「はい、おじい様。今日は忙しいのにありがとうございました。」
鈴吉は愛しそうに和希を見詰めた。
あの日から、また和希が自分を粗末にする真似をしないだろうかと心配をしていたが、どうやらそれは取り越し苦労だったらしい。
もう、大丈夫だろう…あの子の、鈴香の子だ。1度こうと決めたらてこでも動かない子だった。
その鈴香の性格を受け継いでいる和希が、こうして穏やかな顔をしているのならもう何の心配もいらないだろう。
「構わないよ。」
鈴吉は笑ってそう言うと、校長室を出て行った。
「それでは、遠藤君。今日から君はこのベルリバティ中学の生徒として、ここで様々な事を学びます。学ぶ事は学業だけではありません。同学年の友人と、そして先輩との付き合い方、部活動など学ぶ事は山程あります。でも、焦る必要はありません。自分のペースで1つ1つ確実にものにしていって下さい。その為の協力は我々教師が惜しみなくサポートします。」
「はい、解りました。」
「何か解らない事はありませんか?」
「今の所はありません、校長先生。」
「それでは、後は海野先生、貴方にお願いしますね。」
「はい、校長先生お任せ下さい。遠藤君、それじゃ、そろそろ教室に行こうか?」
「はい、よろしくお願いします、海野先生。」
二人はお辞儀をすると、校長室を出て、教室に向かって行った。


教室に向かいながら、海野は和希に話し掛けてきた。
「遠藤君は鈴菱君と住所が同じだけど、一緒に住んでいるの?さっき鈴菱さんが保護者として来ていたよね。」
「はい。」
「鈴菱君と親戚なの?」
「はい。豊さんのお母様と俺の父が親戚なんです。」
「そっか、だから“遠藤”って名字なんだね。じゃあ、もう学校の事は鈴菱君から色々と聞いてるかな?」
「いいえ、まだ…実は鈴菱家に行ったのは昨日からなんです。」
「ええー。昨日の今日でもう学校に来たの?偉いね、遠藤君って。」
「そんな事ないですよ。」
「ううん。だってリハビリ中なのに勉強もしたくて学校に来たんでしょう?早くここに慣れるといいね。皆、良い子達だからすぐに仲良く慣れると思うよ。」
海野は嬉しそうに話す。
「でも、それなら学校の事殆ど知らないよね。」
「はい…でも少しは丹羽先輩から聞いているので知っています。」
「えっ?丹羽君って3年の丹羽哲也君の事?」
「はい。生徒会長をしているそうですね。」
「うん、そうだよ。遠藤君って丹羽君の知り合いなんだ。」
「はい。入院中に何度か会った事があるんです。その時退院したら、ベルリバティ中学に転入するんだって言ったら、後輩だからって色々親切にして貰ったんです。」
「そうだったんだ。丹羽君って面倒見が良いって、先生方の間でも評判がいいんだよ。そう言えば、鈴菱君も丹羽君と仲がいいんだよね。小さい時からの知り合いなんだって言ってたよ。鈴菱君と丹羽君と仲が良いなら、先生が遠藤君に教えてあげられる事何もなくなっちゃうな。」
「そんな事ありませんよ。それに丹羽先輩が海野先生は頼りになる先生だって褒めていましたよ。まだ、解らない事だらけなので、よろしくお願いします。」
「丹羽君が僕の事そんな風に言ってくれてたんだ。嬉しいなあ。うん!丹羽君の期待を裏切らない様に先生頑張らなくっちゃね。遠藤君、僕の方こそよろしくね。あっ、もう教室に着いちゃったね。ここが今日から遠藤君が通う教室だよ。1学年1クラスしかないからね。さあ、入ろう。」
「はい。」
海野は教室のドアに手を掛けた。
遠藤和希のベルリバティ中学の生活の始まりでした。


20分休みに、和希の周りにはクラスメートが集まっていた。
「遠藤君って、豊君の親戚なんだ。」
「解らない事があったら何でも聞いてね。」
「左手が治るまで不便な事も多いだろうから、その時は手伝うから遠慮なく言ってね。」
新しく入った和希にクラスメートは親切にあれこれ話し掛けてくれる。
華族や、裕福な家庭の子息が通うベルリバティ中学は1学年1クラスという少人数制の男子校で、学力や運動能力に優れた者が多い学校として有名な私立中学である。
和希はその名は知っていたが、まさか自分が入学するとは思ってもいなかったので、少々戸惑い気味だったが気さくな人が多いクラスでホッとしていた。


その時、群がるクラスメートを押しのけ、豊が和希の隣に来た。
「和希の面倒は俺が見るから、心配しなくてもいいぜ。」
「豊君、僕も遠藤君と仲良くなりたいんだよ?」
「そうそう、皆で仲良くがこのクラスのモットーだろう?独り占めは駄目だよ。」
「俺は別に独り占めなんてしてないぜ?ただ、皆の手を煩わす事は避けようと思っただけだよ。」
「なら、大丈夫だよ。困った時はお互い様だ。遠藤君、君は今日からこのクラスの一員だからね。困った時は遠慮せずに言う事。特に今はけが人なんだから余計だよ。何かあったら誰でも構わないから頼る事。解ったかな?」
「あっ、はい。よろしくお願いします。え〜と…」
「失礼。このクラスの学級委員の藤田だ。こちらこそ、よろしく。」


その時、教室のドアが開き、丹羽が入って来た。
クラス中の視線が丹羽に向かう。
丹羽は教室を見回し、和希を見つけるとニコッと笑い、
「遠藤!よく来たな!」
「丹羽先輩!」
和希は嬉しそうに微笑むと、席を立って丹羽の側に走って行った。
「お久しぶりです、丹羽先輩。どうして俺が今日ここにいるって知ってるんですか?」
「さっき、海野センセーがわざわざ俺の教室まで来てくれて、遠藤が今日から来てるって教えてくれたんだよ。」
「海野先生が?」
「ああ、お前俺の知り合いだって海野センセーに話したんだろう。まだ、親しい人も少なくて心細いだろうからって心配して俺の所に言いに来たんだぜ。」
和希は少し困った様な顔をして、
「ごめんなさい。迷惑をかけてしまったんですね。」
そう謝る和希に、丹羽は笑いながら和希の背中を叩く。
「そんな訳あるはずないだろう。俺は嬉しかったぜ。俺の事忘れずに覚えていてくれてよう。それよりも…」
丹羽はまじまじと和希を見ると、
「ベルリバティの制服、よく似合うじゃねえか。パジャマよりずっと似合うぜ。」
にやにやして言う丹羽に、和希は顔を赤くさせて答える。
「止めてくださいよ、丹羽先輩。こんな所でパジャマなんて言うの…恥ずかしいです。」
少し俯いて言う和希が可愛らしくて、丹羽は嬉しそうに見詰めていた。
昨日…たった1日会えなかっただけなのに、こんなにも心が浮かれるなんて和希は不思議に思っていた。
それは、丹羽にとっても同じで、会えなかった昨日はなぜか胸がもやもやしていたが、今和希をこうして見ているだけですっきりとしている自分の気持ちには気付いていなかった。
海野から話を聞いた途端すぐに1年の教室に向かって走って来て、教室のドアを開けてすぐに丹羽の目に入ってきたのは、明るい淡い色の髪の和希の笑顔だった。


「和希、哲也の事知ってるのか?」
豊に突然に話しかけられて、顔を上げる和希。
「豊さん、入院中に丹羽先輩にはお世話になったんです。」
「俺、そんな話聞いてないぞ。俺に内緒にしておくつもりだったのか?」
「そんな…内緒だなんて…偶々話をする機会がなかっただけです。」
「本当か?隠しておこうとしていた訳じゃないよな。」
豊は物凄く機嫌が悪かった。
確かに昨日は色々あって丹羽の事は話せなかったが、豊に内緒にしておくつもりなど、和希には毛頭なかった。
丹羽から丹羽と豊は知り合いだと聞いていたので、近いうちに話す予定だったのだ。
それが偶々タイミングがずれただけなのに、なぜこんなに豊の機嫌が悪くなったのか、和希には理解できずに困っていた。


見かねた丹羽が声を掛けた。
「おい、豊。それくらいにしてやれよ。遠藤の奴、困ってるじゃないか。」
「哲也には関係ないだろう?これは俺と和希の問題だ。」
「けどよう。遠藤は昨日病院を退院して、豊の家に行ったんだろう?」
「そうだけど?それが何?」
「だからさあ、遠藤だって初めての家できっと緊張してたと思うぜ。だから、偶々言い忘れだんだろう?なあ遠藤、そうだろう?」
丹羽は和希に向かって微笑みながら言った。
和希はすぐに頷くと、
「あっ、はい、そうなんです。ごめんなさい、豊さん。」
済まなそうに豊を見て頭を下げる和希に、豊はほんの少しだけ怒りを納めた。
「解った。そうだよな。慌しくてゆっくりと話もできなかったし、俺も悪かったよ、和希。でも、俺には隠し事はするなよ。」
「はい。ありがとうございます。」
ホッとした和希の顔を見て、丹羽は安心する。
豊は悪い奴じゃないが、我侭な所があるので、丹羽は密かに和希の事を心配してたのである。
予想通り、豊の我侭振りにまだ慣れていない和希は苦労していた。
これからはちょくちょく様子を見て、和希を守ってやらないとな…と丹羽は考えていた。


「哲也、もう教室に戻らないと授業が始まるよ。さぁ、和希は席に戻ろう。次の授業の準備をしないとな。」
和希の腕を掴んで席に戻ろうとする豊。
丹羽は頭をボリボリ掻きながら二人に向かって、
「じゃ、俺は戻るぜ。豊、遠藤、しっかりと勉強をしろよ。」
「解ってるよ、哲也。」
「ありがとうございます。丹羽先輩。」
ペコッと頭を下げて笑顔で答える和希に、丹羽は片手を上げてから1年の教室を後にした。




BACK   NEXT