未来への扉9

4時間目が終わり、迎えに来てくれた石塚と共に、和希は病院に行く為に教室を出て階段を下っていた。
「いかがでしたか、和希様?転校初日の感想は?」
ニコッと笑いながら聞いてくる石塚に、和希も微笑んで答えた。
「皆さん、優しくて良い人達ばかりで助かりました。左手の事も気にして下さって色々と親切にしてもらいました。」
「それは、何よりです。良かったですね。」
「はい。」
不安だった学校生活も何とか無事にスタートできた。
優しいクラスメイト、面倒見の良い豊さん、それに…親切にしてくれた丹羽先輩がいる。
和希はこの学校での生活が楽しみになっていた。


下駄箱に近づいた和希の目に哲也が映った。
「丹羽先輩?」
「よう、遠藤。今から帰るのか?」
「はい。丹羽先輩こそどうしてここに?」
「さっき、海野センセーが来た時に、遠藤は病院でリハビリがあるから当分は午前中しか授業に出ないって聞いたからな。帰る前に顔だけでももう1度見ておこうと思ってさ。」
「あ…ありがとうございます…」
和希は頬を微かに赤く染めた。
大好きな哲也がわざわざ見送りに来てくれたのだ。
こんなに嬉しい事はない。
「哲也様、お久しぶりです。」
「おっ、石塚さん。石塚さんが遠藤を病院に連れて行ってくれのか?」
「はい。何かありますと困りますから。」
「石塚さんが付いていれば、安心だな。よろしくお願いします。」
「いいえ。大切な仕事ですから。それよりも、哲也様には和希様が入院中大変お世話になられたようで。こんな所で失礼ですが、本当にありがとうございました。」
頭を下げる石塚に哲也は、
「やだな、石塚さん。頭を上げて下さいよ。親父に頼まれて俺が好きでやった事なんだからさ。」
「お父様に頼まれて?」
和希はそっと呟いた。
その声はとても小さくて誰にも聞こえなかったが、その顔は少しショックを受けていた。
ただの偶然で哲也が和希のリハビリを手伝ってくれてるとは思ってなかったが、まさか父親に頼まれて手伝ってくれているとは思わなかった。
和希の中で寂しさが膨らんで来た。
そんな和希の表情に石塚はすぐに気付いた。
「和希様、お顔の色が優れませんよ。お疲れになられましたか?」
「ううん、大丈夫…」
首を振って答える和希の顔を哲也は心配そうに覗き込んだ。
「そうか?遠藤、お前やっぱり少し顔色悪いぞ?昨日退院したばかりなのに、今日から学校に来たから、疲れたんじゃねえのか?」
至近距離の哲也の顔に、和希の心臓はバクバクする。
「そ…そうかも…」
「和希様、リハビリの前に医師に診て貰いましょうね。」
「えっ?そんなに大げさにしなくても大丈夫です。」
「いいえ。念には念を入れておきましょう。その方が安心ですからね。」
「そうだぞ、遠藤。石塚さんの言う通りだ。ちゃんと医者に診てもらえよ。」
心配そうな哲也の顔に、仕方なく和希は頷く。
「解りました、丹羽先輩。ちゃんとお医者様に診てもらいます。」
「よし!大事にするんだぞ!」
そう言うと哲也は和希の頭を優しく撫でる。
和希は恥ずかしそうに笑った。
たとえ頼まれたからでもいい、豊さんの親戚だから親切にしてくれているだけでもいいと思った。
こうして、丹羽先輩と会話ができるだけで俺は嬉しいんだから。
欲張っちゃいけない。
忘れちゃいけない。
本当の自分の姿を…本当の俺は遠藤和希ではなく、久我沼和希なのだから。
その事を周りが知った時の反応を考えると和希はぞっとして頭を振ったのだった。


和希と石塚を見送った哲也に中嶋が声を掛けた。
「あれが、遠藤和希か?」
「ああ、何だヒデお前も来てたのか?」
「丹羽が生徒会の仕事をサボってまで面倒をみていた奴がどんな奴か気になってな。偵察という所だ。」
哲也は呆れた顔をする。
「お前、相変わらずだな。まぁ、仕事をサボった事は悪かったけどよ。これは俺が自分で考えてやった事だ。遠藤に文句を言うなよ。」
「ほお…人を庇うとは珍しい事だな、哲っちゃん。」
「別にそんなんじゃねえよ。」
頭を掻きながら哲也は言う。
そんな哲也に中嶋は意味深な事を言った。
「丹羽、最初に忠告しておくぞ。あいつ、遠藤和希には深入りするな。深入りすると、大火傷をすぞ。」
「あ〜、ヒデ、お前何言ってるんだ?」
「確かに忠告したぞ。」
「待てよ、ヒデ。お前遠藤について何か知っているのか?まさかまたハッキングしたんじゃないだろうな。」
哲也は中嶋の腕を掴んで聞いた。
「だったら、どうだって言うんだ?」
「お前、あれは危険だからあれ程やるなって言っただろう?ばれたら、退学だぞ?」
「ふっ。俺がそんなヘマを犯すと思うか?」
「いや、思わねえけどよう。万が一って事もあるだろう?俺はただ…ヒデの事が心配なだけなんだよ。」
「なら余計な心配はしないで、真面目に生徒会の仕事でもしてもらおうか?丹羽がこの数日サボってくれたお蔭で、
仕事は山の様にあるんだからな。」
「うえ〜、少しは勘弁してくれよな、ヒデ。」
「問答無用だ。さあ、教室に戻るぞ。昼飯を食べ損ねたくないからな。」
「あっ、待てよ。俺も行くよ。腹が空いてもう動けなくなりそうだ。」
哲也はそう言いながら、先に教室に向かって歩き出した中嶋の後を追いかけた。


「今日はありがとうございました、石塚さん。」
和希は車を降りると、石塚に頭を下げた。
4時間目が終わった後、学校に迎えに来てくれた石塚と共に昼食を食べ、病院でリハビリしてきた和希が鈴菱家に帰って来たのは、暗くなってからだった。
「どういたしまして。それよりも、和希様もあのような大変なリハビリを良く頑張っていらっしゃいますね。驚きました。」
「そんな事ないです。確かに痛いけど、動かさないと筋肉が固まっちゃうし、頑張らないと動かないから、仕方がないですよ。」
笑いながら、和希は答えるが、心の中では自分が犯した過ちについて後悔していた。
いつまでリハビリを続けるのだろう?
リハビリしたって、もとどおりにはならないと言われている。
でも、少しても動くなら頑張ってみようと思ってるげど…
どこまで動くようになるのだろうか?
不安が襲ってくる。
でも…
『ある程度は直るんだろう?なら辛くてもやるしかねえな。頑張れよ、遠藤。』
丹羽先輩がそう言ってくれたから、どんなに辛くても嫌になっても挫けないでやっていけると思う。
丹羽先輩が見守ってくれているから、頑張れると思う。
1人ではできない事でも支えがあればきっとできると信じたい。


「和希様、明日も同じ時間にお迎えに上がりますので、教室でお待ちになって下さいね。」
「えっ?」
「どうかなさいましたか?これからは毎日私がお迎えに伺います。」
「だって…それでは石塚さんは半日は俺の付き添いで時間が潰れてしまいます。明日からは俺1人で大丈夫です。」
「和希様、貴方はここにいらした以上、鈴菱の人達と同じ扱いなんです。鈴菱家は業界のトップの位置にあり、多くの政治家達とも関わりがあります。お1人で迂闊に行動なされては、身に危険が及びます。」
「身の危険?」
「そうです。たとえば誘拐などです。」
「えっ…?」
「豊様も誘拐しかけた事は数回あります。ですので、学校の送り迎えも車ですし、必要な外出時にはSPがつきます。和希様も今後、豊様と同じ扱いになられますので、ご理解下さいね。」
「俺もですか?でも俺は鈴菱家とは直接に関係ありませんよ?」
先程から驚きを隠せない顔をする和希を石塚は優しく見ていた。
「和希様は幸せな環境でお育ちになられたのですね。でも、和希様は遠藤家のご子息なんですよ。鈴菱家程ではありませんが、かなりの地位にいらっしゃる華族なんです。それにここ都会は欲の固まった者が沢山いる所です。今はまだよろしいですが、少しづつで構いません。ご自分の立場をよくご理解下さい。」
「はい。」
石塚に優しく諭されながら、和希は自分の立場と言うものを初めて意識した。
それと同時に身分のある人の大変さをしみじみ感じていた。


家に入ると豊が待っていたかのように出迎えてくれた。
「和希、お帰り。思ったより遅かったんだな。」
「豊さん、ただいま帰りました。遅くなってしまって申し訳ありません。」
豊に頭を下げる和希に、
「構わないよ。それより疲れたろう?お茶にでもしようか?」
「豊様!」
その時、豊の後ろから声が掛かる。
「まだ、お勉強の途中です。どうしてもお出迎えしたいというから許可しただけで、お茶など聞いてませんよ?直ぐにお戻りになられてお勉強をお続け下さい。」
「はい…」
不貞腐れながら豊は答える。
その中年の男性は和希をじろっと見ると、
「貴方が昨日からこちらに厄介になる事になる事になった遠藤和希様ですね。初めに言っておきます。豊様は貴方とは立場が違います。同じ歳だからと言って必要以上に豊様に近寄らない様、ご忠告しておきます。」
「先生!和希にそんな言い方しないで下さい。」
豊が慌てて声をかける。
「豊様は黙ってらして下さい。こういう事は最初が肝心です。よろしいですか、遠藤和希様。豊様はこの鈴菱の本家の跡取りです。それなりの知性と教養が求められます。その為、幼少の頃よりそのような教育をしています。遠藤家もご立派な華族ですが、鈴菱の本家には足元にも及びません。その辺をよくご理解の上、これから豊様に接して下さい。」
和希は唖然として何も言い返せなかった。
“立場”…そんな事を言われるなんて考えた事もなかった。


何と返事をしていいのか迷っていると、
「返事すらまともにできないのですか?石塚さん、遠藤和希様はどのようなお育ちをされている方なのですか?」
石塚は冷静に答えた。
「私はただの執事ですので、詳しい事は存じ上げておりません。ただ、大変失礼な言い方になってしまいますが、初対面の方にそのような威圧的な態度で接しられるのはどうかと思いますが。」
その答えが気にいらなかったのか、その男性は、
「豊様、さあ、勉強の続きを始めますので戻って下さい。」
「はい。」
そう言われ、豊はすまなそうに和希を見ると、
「和希、また後でな。」
「あっ、はい。」
和希は、豊とその人物が入っていった扉をじっと見ていた。


2人が部屋に入ると、石塚がそっと和希の顔色を伺いながら話しかけた。
「大丈夫ですか?和希様。」
「はい、あの…あの人は?」
「あの方は豊様の家庭教師です。」
「家庭教師?」
「はい。豊様は鈴菱家本家の跡取りなので、それなりの知識が必要なんです。先程の方は経済学を教えてくださっている方です。他にも、語学など沢山の家庭教師がいらっしゃいますので、学校へは週に2回程しか行かれないのですよ。」
和希は驚いていた。
そんな様子の和希を石塚は優しく見ながら、
「仕方ありません。今学校で学んでいる事など全て豊様はご存知なんです。」
「えっ?知ってるんですか?」
「はい。今は大学で学ぶべきものを家庭教師に教わってます。豊様は学校へは人間関係を学びに行っているようなものです。和希様、私は和希様がいらしてから豊様が明るくなられたと思ってます。今までのように豊様に接してあげて下さいね。それを旦那様も若旦那様も望んでおられるのですから。」
「解りました。」
和希は笑顔で石塚に答えた。


もしも、あの時2人が入れ違ってなかったら…
今頃ここでこうして学んでいたのは和希だったのだろう…
何も知らずにここでの暮らしに1日でも早く慣れようと思っている和希。
しかし、ここでの幸せの暮らしがいつまで続くのかは、神のみが知っている事…


「おーい、丹羽。1年生の面会だぞ!」
ここは、ベルリバティ中学3年生の教室。
ドアの側に立っているクラスメートが哲也に声を掛ける。
「あー、俺にか?誰だ?」
中嶋と話しをしていた哲也は、椅子から立ち上がりドアの方へ向かった。
哲也が教室から廊下に出ると、そこには和希が立っていた。
哲也の顔が喜びに変わる。
「遠藤じゃないか。」
「丹羽先輩、ごめんなさい。休み時間にお邪魔しに来て。」
「いや、構わないぜ。どうした?何か困った事でもあったのか?」
「いえ。あの…俺昨日病院でリハビリに通うのは、これから週に1回でいいって言われたんです。それで丹羽先輩にお礼が言いたくて。」
嬉しそうに話す和希の頭を哲也はグリグリと撫でる。
「やったな、遠藤。良く頑張ったな。」
「ありがとうございます。丹羽先輩が励まして下さったお蔭です。」
「そんな事ねえよ。遠藤が頑張った証拠じゃねえか。本当に良くやったな。」
哲也に頭を撫でられ、少し照れる和希。
「で、どこまで動く様になったんだ?」
「あっ、はい。腕はこの通り自由に動くんです。ただやっぱり指はどうしても上手く動かなくて…」
和希は左手を少し持ち上げて、手を哲也に見せた。
確かに手首も結構動くが指は殆ど動かなかった。
寂しげな和希の顔に気付いた哲也は、明るく言った。
「まだ、あれから大して時間は経ってないのに、良く頑張ったじゃないか。大怪我だったんだろう?まだ時間は沢山あるんだから、焦らずにやっていくのがいいと俺は思うぜ?」
「そうでしょうか?」
不安そうに和希は哲也に聞く。
「ああ。焦るとろくな事にならないからな。ゆっくりと直していけばいいさ。」
「はい!」
安心した顔で和希は答え、そんな和希を哲也は満足そうに見詰めていた。


「ゴホン!」
豊がわざとせきをした。
「哲也、和希。何2人の世界に入ってるんだよ。」
和希は慌てて哲也の側を離れた。
その顔は薄っすらとだが、赤く染まっている。
哲也はそんな和希を愛しそうに見ながら、豊に向かって言った。
「何だ?いつからそこにいたんだ、豊?」
「最初からだよ。和希が1人で3年の教室まで来れる訳ないだろう?俺が連れて来てやったんだよ。なのに、哲也は和希しか目に入らないんだからな。」
「ゆ…豊さん…」
和希の顔が更に赤くなる。
本当に可愛い奴だと哲也は和希を見てそう思った。
男のくせに、コロコロと変わる表情。
笑うとドキッとするような綺麗な笑顔。
線の細い身体。
男にしておくにはもったいないとさえ思ってしまう。
だが、哲也はこの思いが何なのか解っていなかった。


「悪かったって。でもよ、お前もいけないんだぞ?そんな目立たない場所に立っているから。」
「はあ?まったく、何言ってるんだよ。和希のすぐ側にいるのに、その存在に気が付かないってどういう事か俺が聞きたいよ。」
不貞腐れて答える豊に困った顔をする和希。
そこに助け舟の如くに中嶋が現れた。
「それぐらいにしてやれ、鈴菱。丹羽が困ってるぞ。」
「ヒデ!助かったぜ。」
「何が助かっただよ。英明、哲也を庇うのか?」
「庇う?俺がそんな事をして何の得にになる?」
哲也は情けない顔をする。
「おい、ヒデ。そりゃないだろう?親友を助けようって気がないのかよ。」
「親友?違うだろう、哲っちゃん。腐れ縁だ。」
聞いていた豊が噴出した。
「相変わらず強気発言だね、英明。」
「フッ…何とでも言え。それよりも鈴菱。丹羽の馬鹿は1度に何人も見分ける程器用な奴じゃない。その辺で許してやれ。」
「仕方ないな。英明にそう言われたら“解った”って言うしかないだろう?」
「そうか。さすがに鈴菱の御曹司だ。物分かりがいい。」
豊は苦笑いをして答えた。
「そりゃ、どうも。お褒め頂いて幸いですよ。」
豊は和希の方を向くと、
「もういいだろう、和希?そろそろ時間だから教室に戻るぞ?」
「あっ、はい。」
和希は哲也と中嶋の方を見て、
「それでは失礼します。丹羽先輩、中嶋先輩。」
「おお、気をつけて戻れよ。」
「…」
和希は頭を下げながら、豊の後を付いて行った。


和希と豊が見えなくなると、中嶋はおもむろに言った。
「遠藤は随分お前を慕ってるんだな、哲っちゃん。」
「あ〜、からかうなよ、ヒデ。」
「からかってなどいないさ。随分と懐かれてると思っただけだ。それよりも、この間俺が言った事を忘れてはいないだろうな?」
「ああ、あれか?遠藤に深入りするなってやつだろう?遠藤のどこが危険なんだ?」
「何も遠藤がとは言っていない。奴の周りの者かもしれないだろう?」
「それこそ訳が解んねえよ。遠藤の周りにどんな危険な奴が潜んでいるって言うんだ?確かに鈴菱と関係があるから、そっち方面は危険かもしれねえが、それは俺には関係がないだろう?」
「いずれ解る時が来るさ。その事を知ったらきっとお前は傷つくだろうな。もちろんそんなお前を見て遠藤は、間違なく傷つくだろう。何も2人揃って傷付く事はないんだ。だから距離を置けと言ってるんだ。」
「訳が解んねえよ。言いたい事があるならはっきり言ってくれないとどう行動していいか検討もつかないぜ?なあ、ヒデ、お前遠藤の何を知ってるんだ?」
「まだ、確かな事ははっきりしないんだ。だから深入りするなとしか言えないんだ。」
ため息を付きながら答える中嶋に、哲也はニヤッと笑って答えた。
「ヒデ、お前がそう言うなら、間違えなく遠藤には何かあるんだろうな。だが俺は遠藤の先輩として、ベルリバティ中学の生徒会長としても、遠藤の事を守ってやるぜ。」
「また、悪い癖が出たな、哲っちゃん。」
呆れ顔の中嶋など、今の哲也には見えてなかった。
それよりも、和希が危険な目に遭わないように守っていきたいと思っていた。

「今日も遅かったな、和希。」
家に入るなり、不機嫌な豊に和希は苦笑する。
豊が学校へ行かない日は、放課後に生徒会の手伝いをするために残っている和希はいつもより帰りが遅い。
それが気にいらない豊だったが、和希に直接『辞めろ』とは言えずに、毎回イライラしている様子は和希から見て可愛いものだった。
「ごめんなさい、豊さん。今日も生徒会の手伝いだったんです。」
「またか?和希は生徒会役員じゃないんだろう?なんだってこういつまでも手伝うんだ?」
「だって、俺が入院中に丹羽先輩が俺のリハビリを手伝ってくれたせいで丹羽先輩が生徒会の仕事ができなかったって中嶋先輩に言われて…それに手伝いっていっても週2回だし。」
「まったく、人がいいんだから。どうせ上手く英明に言い含められたんだろう?」
憤慨する豊に、困った顔をする和希。
生徒会の手伝いは週に2回だけなのだ。
なぜなら、豊が登校して来る週2回は授業が終わるとすぐにそのまま帰り、週1回はリハビリの為に午前中の授業のみ受けてから帰るからであった。
だから、ゆっくりと放課後を送れるのは週2回だけ。
その2回を和希は生徒会の手伝いに当てていた。
生徒会の先輩方は優しくて親切だったし、生徒会の仕事は面白かった。
もちろん、和希は雑用しかしていなかった。
でも、途中入学の和希にとって生徒会の仕事は学校生活を知る上でとても役に立っていた。
そして、何よりも大好きな哲也の側にいられるのが1番嬉しかった。


「なあ、和希…」
豊にしては珍しく戸惑い気味に聞いてきた。
不思議に思いながら和希は、
「何ですか、豊さん?」
「そのさぁ…和希はずっとここにいるんだろう?」
「えっ…?もしかして迷惑なんですか?」
豊は慌てて否定する。
「そうじゃない。違うんだ。和希がもしここにずっといてもいいって言うなら俺の側にいて欲しいんだ。」
「豊さんの側に?」
言われている意味がよく理解できない和希だった。
「あっ、変な意味じゃないぜ。」
「解ってます。でもどういう意味なんですか?」
「俺はいづれ父さんの後を継いで、鈴菱グループを一手に引き受ける身だ。それに異存はない。そうなるように小さい頃から教育されていたし、今もしているんだ。でも…俺には心から信頼できる右腕が欲しいんだ。それを和希にしてもらいたいんだ。」
「俺が豊さんの右腕に?」
「ああ。」
「でも、俺そんな有能な人物じゃないですよ?」
「そんな事ないだろう?ベルリバティ中学の編入試験で満点を取るなんて、誰にでもできる事じゃないぜ。」
「あれは…まぐれですよ。」
「もしもそれがまぐれだとしても、俺は和希が欲しいんだ。和希が必要なんだ。駄目か?」
真剣な豊の眼差しに、和希は少し考えた後に答えた。
「ありがとうございます。豊さんにそんな風に思って頂けて、俺嬉しいです。けれど、これは豊さん一人では決められない事だと思います。第一、おじい様、おじ様が何と言うか解りませんよ。」
「和希はおじいさんや父さんが良いって言ったら引き受けてくれるんだな。」
「豊さん?」
「それなら、俺が頼んでみるから。」
「えっ?」
さり気なく断ったつもりの和希は唖然としていた。
意気揚々とした豊は、ポンッと手を叩いた。
「そうだ。和希も俺と一緒に勉強しようぜ。今ちょうどドイツ語の授業なんだ。ドイツ語でドイツの歴史や経済を勉強するんだ。」
「えっ?そんな…邪魔になるから駄目ですよ。それにおじい様やおじ様が…」
「大丈夫だ。後で俺から頼んどくから。」
和希の言葉は途中でさえぎられ、豊に腕を掴まれ無理矢理に豊の勉強部屋に向わされたのであった。


「完璧ですね。和希様、失礼ですがどちらでドイツ語を学ばれたのですか?」
豊の家庭教師は驚いて和希に聞いた。
豊の勉強部屋に連れてこられた和希は、ドイツ語の読み書きを教わったのだが、既にドイツ語は解っていて簡単なドイツ語の小説なら読んでしまう和希の実力に驚きを隠せないでいた。
「え…と、怪我で入院中に松岡先生に教えてもらったんです。」
本当はもっと小さい頃、小学生の低学年の頃、鈴香の容態を見に来てくれていた松岡に遊び半分で教えてもらっていた。
他に英語とフランス語も教えてもらっていた和希だった。
だが、ここで松岡と昔から親しいと解るとまずいと判断した和希は、とっさに入院中と嘘をついてしまっていた。
しかし、その話は疑われる事はなかった。
「ああ、ここの主治医でもある松岡迅先生ですね。彼はドイツ語の他に英語もフランス語も得意なんですよね。それでは、和希様は他の語学も教わったのですか?」
「あっ…はい。少しだけですが。」
家庭教師はニコリと笑うと、
「何の問題もありませんね。それでは豊様とご一緒に今の経済学を勉強しましょう。」
「はい?」
「良かったな、和希。」
「えっ…だって俺経済学なんて1つも解りませんよ。」
「大丈夫です、和希様。初めは理解できないかもしれませんが、聞いている内にゆっくりと理解できる様になりますから。さあ、時間がなくなりますので、始めますよ。」
「はい、先生。」
「…」


訳が解らないうちに、豊のペースにはまってしまった和希。
そして豊は祖父と父の説得に成功する。
全てではないが、いくつかの家庭教師の授業を和希は豊と受ける事になる。
和希が豊程ではないが毎日学校へ行けなくなる日は、そう遠くはなかった。




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